Part,43
「シーナちゃん、術はもちそう?」
「よくわからない」
時間がたつにつれ、小さくなっていく灯りを目にしながらまりいは答えた。
洞窟の中には二人だけ。当然だ。少年とは先ほど別れたばかりなのだから。
「ねえ、シーナちゃ――」
「この壁ってどんなふうなのかな」
「あのさ――」
「洞窟って森よりも安全なんだね。知らなかった」
「でも急に出てこられたらわからないかも」
「…………」
青藍(セイラン)と行動をすることになってはや一時間。二人はずっとこんな会話をしていた。最もまりいが一方的に青年に話しかけている形ではあるが。
よくないということは、まりいもわかっていた。だがこうでもしないと自分がどうなるかわからなかったのだ。
「あ……」
掌の灯りが消え、まりいは思わず声をあげた。
「真っ暗だな。何も見えない」
そう言うと、青年は自分の肩にかけていた袋をひもとく。
中から出てきたのは円形の筒。取っ手のついているそれは、俗に言うランタンだった。
「おれがちゃんと使えるといいんだけどな」
青藍は剣術に長けてはいるものの、術の類が全くと言っていいほどできなかった。
術は誰もが扱えるものだが個人差はある。だから店では武器の他にも術を必要としない道具が売買されている。
マッチで中心部に火をつけた後、円形の包みをかぶせる。ほどなくして洞窟内に再び灯りがともる。
「よし、ついた」
ロウソクとも懐中電灯とも違う不思議な灯り。二人は歩みを進めようとして、一人が足を止める。
「シーナちゃん、腕……」
足を止めたのは青年の方だった。腕に違和感を感じて振り返れば、そこにあったのはまりいの手。
暗闇が怖かったのだろうか。腕を掴んでいたまりいは慌てて青年から離れる。
「ごめんなさいっ!」
青年から目をそらすように、まりいは慌てて言葉を探した。
「これってどんなしくみになってるの?」
「それは――」
「この洞窟ってどこまで続いているのかな。なんだか鍾乳洞みたい」
「ショウニュウドウ?」
このままではいけない。そう思っていても、一度開いてしまった口はなかなか閉じようとしない。そんなまりいを青年はただ黙って見つめる。
「もう少ししたらショウと合流できるかな。その後――」
「シーナ!」
大声で名前を呼ばれ肩をつかまれて、まりいは体を強張らせる。
そこにあったのは青藍の黒い瞳。本来ならば栗色の髪を持つ少年と同じものだが、歳を重ねた分、少年とは違う雄々しさが感じとれる。
まりいから離れると、青年は大きなため息をついた。
「もしかしなくても、おれのこと嫌い?」
オレノコトキライ?
まりいには、その言葉がひどく重く感じられた。
「前にショウのこと悪く言ったのはあやまるよ。でもそう拒否ばっかりされてもこっちがまいる」
後の言葉はまりいには聞こえない。
「シーナちゃんにとっては不本意極まりないかもしれないけどさ。ここまで来ちゃったことだし今だけでも――」
「……なこと……ない」
「シーナちゃん?」
「そんなことない!」
青藍の声はまりいのものによってさえぎられる。
まりいは泣いていた。
「嫌いなんかじゃない。私は青藍のことが――」
どうして彼を見ると戸惑ってしまうのか。
どうして彼を見ると顔が赤くなってしまうのか。
まりいには、ようやくそれを理解することができた。それは誰もが一度は経験する感情。間違いない。私は青藍のことが――
「……ごめんなさい。先行くね」
顔をぬぐうと青年の静止をよそに、まりいは洞窟の奥へかけた。
それは、生まれて初めて胸に抱いた想い。
伝えるためにはどうすればいいのか。幼い少女はその術を知らない。
涙を拭きながら、まりいは一人、洞窟を歩く。
周りは何も見えない。当然だ。灯りは青年が持っているのだから。
(私、なにやってるんだろう)
こんなことならばショウと一緒にいけばよかった。そう思ったところで後の祭りだ。
かと言って戻れるはずもなく。まりいは壁伝いに道を歩いていく。
やがて、手が硬いものに触れる。よく見るとそれは、一枚の壁画だった。
もしかして入り口に戻ってしまったのだろうか。
目をこすった後、絵を念入りに見る。よく見るとそれは、さきほどのものとは異なったものだった。
絵のみで文章は一切書かれていない。一体誰が描いたのだろう。
手を触れると、一面がまばゆい光に包まれる。
「……!?」
体中の力がぬけていくような、何かに塗り替えられていくような感覚にまりいは体をのけぞらせる。
(私、どうなるの?)
消えかかる意識の中、少女は青年の名を呼ぶ。それは初めての感情を教えてくれた、大切な人の名。
『シーナちゃんはおれが守るよ』
それは本当にささやかで、けれどもずっと心の奥底に残った言葉。
「……ナっ!」
そうだ。さっきもこんなふうに呼んでくれた。ちゃんと謝らなければ。
「セイ――」
誰かの声を耳にした後、まりいの意識は闇に溶ける。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「みて。ほしがこんなにきれい」
「そうだね」
はしゃいでいるのは三歳くらいの女の子。そのかたわらにいるのは一組の男女。女の子の両親だろうか。二人共穏やかな眼差しを女の子に向けている。
「ねえ。あのほしにおなまえつけていい?」
女の子が顔を向けると、女性は笑ってそれに答えた。
「いいわよ。どんな名前をつけるつもり?」
「ええと……あれはベネリウス。――のなまえね」
「それじゃまんまだな」
男性のつぶやきに女の子は頬をふくらませる。でもそれはほんの少しのこと。しばらくすると、指を右にずらして言う。
「じゃああっちはルビィ。いいなまえでしょ?」
「それもほとんど変わりばえしないな」
「いいもん!」
今度はそっぽをむいた女の子に男性は苦笑した。
「いいじゃない。この子がせっかくつけれくれたんですから。ね?」
助け舟を出したのは女性だった。むくれる女の子の両肩に手を置くと、上目遣いに男性を見上げる。
「――はマリィのつけたなまえがきらいなの?」
「そんなことないよ。ただもう少しかっこいいものをな――」
「やっぱりきらいなんだ……」
「わーっ! 違う違う! 『ベネリウス』に『ルビィ』か。うんいい名前だ」
「ほんとう?」
「ほんとほんと。……ほら、そこも笑ってるんじゃない」
「ごめんなさい。だって……」
そう言って笑う女性は本当に楽しそうで。こうなっては男はただ苦笑するしかない。
「ねえ。わたしにもおなまえつけて!」
表情をころころ変える女の子に、男は目をすがめると優しい口調で語りかけた。
「そうだな――」
これは何?
頭に直接語りかけてくるような感覚に、まりいはただ驚くことしかできなかった。
目前に広がる光景は一体何なのだろう。胸をしめつける熱いものは一体何なのか。
(ついにここへ来てしまったのですね)
誰?
(あなたにだけは私と同じ目に遭ってはほしくなかった。たとえ恨まれることになってもいい。もう一つの故郷で幸せに暮らしてほしかった)
「誰? 誰なの!?」
語りかける声に、まりいは声を荒げる。だが返事は返ってこない。ただ一方的に語りかけてくるのみ。
(マリィ。お前は俺達とは違う。お前ならきっと自分のさだめを変えることができるはずだ。
さだめとは、人から与えられるものではない。自分で切り拓いていくものだから)
(いずれ真実を知る日が来るでしょう。でも恐れてはいけません。大切なのはあるがままに受け入れ、前に進むこと。
私達はいつもあなたのそばにいます。そのことを忘れないで)
「待って! あなた達は誰なの!?」
再び声をあげても返事は返らない。代わりに訪れたのは闇と静寂のみ。
それは、遠い日の記憶。