Part,36
「私は……わからないの」
ショウの方を向いて、まりいはゆっくりと笑みの形を浮かべた。
「子供の頃に捨てられたことは前に話したよね。顔や名前のこともわからないのにずっととらわれていて。やっぱり憎んでいるのかな」
「本当にわからないのか?」
「うん。何にも覚えてないの。お父さんのこともお母さんのことも」
そう言った少女の顔はとても悲しそうで。
「ショウは覚えてるんだよね。思い出の場所があるんだよね。『思い出』ってどんなもの? 私もいつか作ることができる?」
そう言った少女の顔は今にも泣き出しそうで。
「できるに決まってる」
そう言うことが精一杯だった。少年は視線を合わせることができなかった。それは直視するのが辛かったのか他に思うところがあったのか。その様子を知ってか知らずか、少しして『そうだね』とまりいの返事が返ってくる。
「とにかく。私は『シーナ』なの。そしてこれからもショウと旅をする。足手まといにはならないから」
その瞳は以前と全く変わらないものだった。
『一緒に来る?』そう。二人の旅が始まった時と全く変わらない。普段は弱々しいはずなのに、ここぞという時はかたくなになるところも。
ため息をつくと、ショウはまりいに言った。
「勝手にしろ」
「勝手にする!」
しばしの沈黙の後、二人は顔を見合わせて笑った。
「ショウ」
笑いを収めると、まりいはショウに向かって頭をたれた。
「ありがとう。あなたには本当に感謝している」
それは、まりいの正直な気持ちだった。
「こんな話、普通は真剣に聞いてくれないよ。ショウがいなかったら今頃どうなってたかわからない」
本当にわからなかった。見ず知らずの場所に一人取り残されて。彼に会わなければシェリアにも会えなかったし今のまりいの姿もなかった。
「そんなに大げさに考えなくてもいいんじゃないか?」
だから、目の前の少年にまりいは本心を告げる。
「そうかもしれない。でも私、ショウのこと好きだよ」
少女の告白に、少年は時を止めてしまった。
「もちろんシェリアも。二人は大切な友達だってどんな時も胸張って言える」
それは、まりいにとって本心だった。ショウとシェリアはまりいにとって大切な友達。それはどれだけ月日が流れても変わることはない。
「ショウ?」
少女に声をかけられ、少年はようやく自分の時を動かす。
まりいの告白がどんな意味を成すものかはわかっていた。自分のことを信頼してくれている。それは人として嬉しいことだ。だが面と向かって口にされると気恥ずかしいものがある。
「……帰るぞ」
内心の動揺を隠すようにショウは慌てて踵を返す。
だが追ってくるはずの少女の足音は聞こえない。
「シーナ?」
「あれ」
まりいはある一点を指差す。そこにあったものは空。そこにあったのは星だった。
「ここは田舎だから星も見えやすいんだろ」
「綺麗……」
それは満天の星空だった。本当に綺麗ですこまれそうな――
――あれはベネリウス。――の名前ね。
じゃああっちはルビィ。いい名前でしょ?
「どうした?」
少女の様子が普通でないことに気づき、ショウが訝しげな視線を向ける。
「……知ってる」
「え?」
視線を空に向けたまま、まりいはつぶやいた。
「私、この場所知ってる」
私はこの空を知ってる。
「『ベネリウス』と『ルビィ』」
ふいに浮かんだ言葉をまりいはショウに尋ねた。
「ベネリウス……」
まりいの言葉を反芻(はんすう)し、ショウは表情を変える。その瞳にはそれまでとは違う別のものが映っていた。
少年の瞳の奥に宿るもの。それはかすかな戸惑いと驚愕。
「ショウ?」
「早く帰ろう。姉貴も心配する」
まりいの声にはっとするとショウは足をはやめる。まりいも慌てて後を追った。
ふと思い出しまりいは少年に尋ねる。
「ショウ、なんでここが『いつもの場所』なの?」
「リンにあったんだろ?」
まりいは一つうなずく。
「『思い出の場所』だって。いろんなものがたくさんあって風に流れて飛んでいくって。
……どういうこと?」
「そのまま」
それきり、少年が少女の質問に答えることはなかった。
この丘は父親とよく遊んでいた場所だから。
『風に流れて飛んでいくんだ。いいことも悪いことも全部』
『そうなの?』
『……って、父さんの友達が言ってたんだ。
だから何かあったら風に祈りなさい。いいことはとどめて置けるように。悪いことや悲しいことは早く運んでもらえるように』
初めて心の底から祈ったのは母親が死んだ時だった。風は父親に母の死を知らせてくれたんだろうか。親父は今、どこで何をしているのだろう。
だからこの場所に誓った。運び屋になると。親父を、親父の進んだ道を見つけてみせると。
こんなこと、知っているのは俺だけでいい。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日。
「たいしたもてないもできなくてめんなさいね」
「そんなことないです。お世話になりました」
ユリにまりいは深々と頭を下げる。
若草色のワンピースにキュロット。ユリから譲り受けたものだ。制服は荷物と一緒に持っていくことにした。
髪を一つにまとめ同じ色の紐で結ぶ。準備は整った。これでいつでも出発することができる。
「これからどこへ行くの?」
「東へ行こうと思っています」
首元を飾るペンダントを見つめながらまりいは答える。それは二つのアクアクリスタルが指し示した方角だった。アクアクリスタルが指し示すもの。それはフロンティア――未知なるもの。
「東……」
ユリはしばらく考えるようなそぶりを見せた後、二人にむかって言った。
「シーツァンに行きなさい」
「シーツァン?」
聞きなれない言葉に、まりいは首をかしげる。だがショウは知っていたらしく姉の話を黙って聞いていた。
「そこに、あの人がいます。わたしの名前をだせばあの人は力になってくれるはず」
「それって――」
「わかった。シーツァンだな」
まりいの言葉をさえぎりショウは姉の言葉を確かめるように言った。
「姉貴はそれでいいんだな」
弟の言葉にユリは微笑を浮かべた。
「いつまでも閉ざしたままじゃいけないでしょ?」
姉の言葉にショウは深いうなずきを返す。
二人が何のことを言っているのかわからない。だが、まりいは口を挟めなかった。名前も知らない人。その人とこの姉弟には何かがある。それだけはわかったから。
「二人とも気をつけて」
ユリに見送られ、二人はレイノアを後にする。
「昨日言ったこと、忘れるなよ」
「わかってる」
ショウの言葉にまりいはしっかりとうなずく。
「……出発だ」
少年は父親の軌跡をたどるために。
少女はこの世界に呼ばれた意味を探すために。
少年と少女の共通の思い。それはフロンティアを見つけること。
二人の旅が再び始まった。