Part,26
ドレスをひるがえし、まりいは走る。一刻も早くここから抜け出すために。
この石にそんな力があるなんて知らなかった。シェリアも教えてくれなかったし。実際それはシェリアもその事実について知らなかったのだが、まりいの知るところではない。
しばらくすると大広間に出た。婚儀が行われていたためかそこに人はいない。
『そこから左へ行けば外へ抜け出せます。ショウがそこで待ってるから頑張って抜け出して。目印に赤い花を置いてるんですって』
視界のスミに赤い花を見つける。あと少し。あと少しでここから抜け出せる――
「どこへ行くのです?」
背後からかけられた声に、まりいは動きを止めた。
「部屋へもどるにはまだ時間が早すぎるのではないですか?」
それはまぎれもなくラズィアの領主だった。
どうして? さっきまで眠っていたはずなのに。
「侍女が教えてくれたんですよ。あなたが出て行ったと。戯れにしてはやりすぎですよ」 笑いながら、まりいに近づいていく公爵に比例して、まりいは一歩一歩足を後ろにやる。嫌だ。出口まであと少しなのに。もう少しでみんなの所に帰れるのに。
「さあ戻りましょう――」
「来ないで!」
公爵の目の前に、まりいは隠し持っていたナイフを突きつけた。
「それでどうすつもりです? わたしを刺すつもりですか?」
笑みを浮かべながら近づいてくる公爵にまりいは再び後ずさる。
「来ないでください!」
ナイフを握る両手に力をこめる。そうしないと簡単に手から外れてしまいそうだった。
だが声と反比例してまりいの体は震えている。その様子に余裕を見せたのか、公爵をはじめ兵士達が近づいてくる。
一体どうしたらいいの? 出口まであと少しなのに。一体どうしたら――
『アクアクリスタルはそれを求める手がかり。それを扱えるのはあなただけ』公爵の台詞を思い浮かべる。あれがもし本当だとしたら――
公女の周りが兵で囲まれる。だがあと一歩というところで彼らの動きが止まった。
体は震えているが目は凛としている。公女のとろうとしている行動に一同が怪訝な顔をする。逃げ場もないのに一体この少女は何をしようというのか。
「……来ないでください」
堅い声で、まりいはもう一度言った。自分の首元にナイフを突きつけて。
「アクアクリスタルがないと、わたくしがいないとフロンティアのことがわからないんでしょ? だったら近づかないで」
アクアクリスタルだけじゃきっとだめなんだ。公女が、シェリアがいてこの石は効果を発揮するんだ。だったら公女と思われている私に手出しはできないはず。それは、まりいなりに必死に考えてとった行動だった。
「道をあけてください」
公女に睨まれ兵士はすごすごと道をあけた。
少しずつ、少しずつまりいは出口に向かう。もう大丈夫。あとはこの道をまっすぐ行けば――
「……はははは」
公爵のあげた笑い声に、まりいは足を止めた。
「確かに二つが、公女とアクアクリスタルがなければ意味はありません。ですが片方が偽物だったらどうするんです?」
「何を言っているんですか?」
公女は毅然として言った――つもりだったが、はたから見ればそれは茶番にしか見えなかった。
どうしよう。私がシェリアじゃないことがばれてしまったの?
その短時間のとまどいが間違いだった。次の瞬間あっという間に手首をひねられ、まりいは動けなくなってしまった。
「その石は偽物ですよ。本物はここに」
公爵の手の中には青の球体に女神像が彫られた石――アクアクリスタルがあった。
「おいたがすぎたな。まあさっそくだからここでミルドラッドの血筋を証明してもらおうか」
笑みを浮かべながら公爵は本物の石を公女の前にかざした。
石が淡い光を放つ。
「さあ、フロンティアの栄光をわたしに指し示せ――」
公爵だけでなく、誰もが固唾を呑んでその光景を見守った。
おとぎ話だと言われていたものが今よみがえろうとしている。果たして『未知なるもの』と呼ばれるものの正体とは一体何なのか。
だが、ことはそう簡単には運ばなかった。 石が光を放ったのは数秒のこと。光を失ったそれは、何事もなかったかのように床に落ちる。
「話が違う!」
公爵は人目もはばからずに叫んだ。
「何故だ。なぜ光を失う」
石は本物だ。公女だってわざわざ人を雇って連れてきたというのに。
「……!」
ある考えが浮かび、公爵は再び逃げ出そうとする少女の腕をつかんだ。
「痛っ……!」
少女が苦痛の悲鳴をあげるのを無視し、強引に髪の毛をひっぱる。床に落ちたのは金色の髪。石が光らなくて当然だ。アクアクリスタルは本物でも、目の前の少女の髪は焦げ茶――公女は偽者なのだから。
「よくもわたしをたばかってくれたな!」
公爵の視線にまりいは足がすくんだ。
敵意をむき出しにした顔。これが本来の彼の表情なのだろう。元々、公女自体を必要としていたわけじゃないのだ。
「言え! 本物はどこだ!」
強引に腕をつかまれまりいは苦痛の表情を浮かべた。
「シェリアはここにいません。ミルドラッドに、お父さんとお母さんのところにいます」
泣き出したいのを、逃げ出したいのを必死にこらえながら、まりいは公爵をにらみつけた。
「シェリアはあなたと結婚なんかしません。あなたと結ばれて幸せになれるはずがない!」
偽物の公女ににらみつけられて公爵の顔は赤くなった。小娘だと思って油断していた。まさかこんなことになろうとは。
「賊を捕らえよ!」
公爵の声に我に返った兵士達が近づいてくる。 再び逃げ出そうとするもこの状況じゃどうにもならない。
……嫌。まだ私は――
まさに絶体絶命。その時だ。
「シーナ!」
少年の声に、まりいははっとした。
「こっちだ。早く!」
間違いない。この声は――
その後の行動は早かった。
「痛っ!!」
腕にかじりつき公爵が手を離した隙に、まりいは声の主の下へ走る。兵士達が慌てて止めようとするももう遅い。 必死の思いで、まりいは声の主――ショウの元へ駆け寄り、しがみついた。
「ショウ……っ!」
自分にしがみつく少女の姿を見てショウは戸惑いをおぼえた。
汚れてしまった花嫁衣裳。その瞳は涙でぬれている。無理もない。たった一人でこの状況をのりこえてきたのだから。
安心させるようにショウはまりいの背中を軽く叩く。
「よく頑張ったな」
本当によくやったんだろう。何の訓練も受けていない少女が城をおびやかす一大事に貢献したのだから。
「シェリアはミルドラッドにいる。本当はここに来たいって言ってたけどさすがにな。
大丈夫。後はあの人達に任せておけばいい。もう終わったんだ」
もう終わった。その言葉にまりいは安心して身をゆだねる。少年が慌てて抱きとめた時には、少女は深い眠りの中にいた。
満ち足りたような穏やかな寝顔。苦笑すると、ショウはまりいを抱えなおす。
「……お疲れ様」
一方、二人の少し離れた場所では一つの話が幕を閉じようとしていた。
「ラズィア公主、イプロ・ラズィア様ですね。我々はリネドラルドの使いで来ました。これから身柄を拘束させていただく」
鎧に身を固めた中年の赤毛の騎士が、一枚の書状を公爵に突きつける。口調とは裏腹にその表情は堅い。
「何を証拠に――」
「アクアクリスタルを持ち出したのが何よりの証拠。そちらの御仁はリネドラルドの正式な使者だ」
「それは――」
「他にも不正を働いたとの通告がきている。言い分は後ほどきかせてもらおう」
そう言うと、公爵はがっくりと肩を落とした。
こうしてラズィアの一件は幕をおろすこととなる。
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「あの男って馬鹿だよね。情報を流しただけであっさりのってくれるし」
「この国は簡単に落としやすいことがわかっただけでも上出来だ。話す暇があったら歩け」
「ねぇ。あの話って本当なの?」
「石があれの力を込めているのは事実だ。だがそれを導くには相当の時間がかかるだろうがな」
「勝手に勘違いして勝手に自滅しちゃったのか。無能な奴を牢獄送りにしたんだ。むしろぼく達ってこの国に貢献したんじゃない?」
「もらえるものはもらったんだ。それだけで充分だろ。今回は元々本業じゃなかったからな」
「ねぇねぇ。その公女様って人可愛かった? せっかくここまで来たんだから見せてくれたっていいのに」
「…………」
「あっ、待ってよ!」
一部の声を残して。