SkyHigh,FlyHigh!

BACK | NEXT | TOP

  Part,100  

 目覚めると、そこは病室だった。
 頭上には蛍光灯の灯り。腕には薬液が細い管でつながれている。それは、この世界を旅立った時と全く変わらぬ状況だった。
「帰ってきたんだ」
 ほう、とまりいは長い息をつく。
 あの出来事は夢ではなかったのか。もう一つの世界で同じ思いを抱えている少年と同様、弱い考えに捕らわれる。
 栗色の髪の少年はもういない。意思の強い瞳も、ぶっきらぼうで、でも温かみのある声を耳にすることもない。だが、胸元で光る宝石が夢ではなかったことを物語っている。
 今までのことは紛れもない現実。自分はやるべきことを成しえるためにここにいる。
「私、大丈夫だよ」
 こぼれそうになる涙をぬぐい、まりいは一人つぶやく。
 自分の姿を見下ろすと、ペンダント同様、服装も異世界のものだった。さすがにこのままではいけないだろう。あらかじめ用意してあったパジャマに腕を通したその時、
「あんたって時々とんでもないことするわね」
 そこにはつかさの姿があった。
「ずっと意識がなかったのよ? ようやく起きたかと思えばそんなことして。美容室にでも行ってきたの?」
 口調は普段のそれと全く変わりないが、眉の形が気持ちいいくらいにつりあがっている。視線の先にあるのは少女の短くなった髪。
 髪を切ったのは空都(クート)では数ヶ月前のことなのに地球ではほとんど時間が流れていない。事実を理解して苦笑すると、つかさはますます顔をしかめた。
「自分で切ったの。気分転換にと思って。でも急すぎたよね。驚かせてごめんなさい――」
 あわてて取りとりつくろおうとする前に、まりいは義母の腕の中にいた。
「あんた、本当に昔から変わってないわね」
 本当に口調は変わらないのだ。だが、熱がこもっているようなのは少女の気のせいか。
「初めて会ったときのこと覚えてる?
『あんた、まるで猫みたい。近づこうとするとすぐに逃げてくんだもの』そう言ったの」
 抱きしめられているせいで表情は見えない。それは故意なのか別のものなのからか。
「ほっとけなかったのよ。人一倍臆病なくせに我が強いんだもの」
 声には熱がこもっている。
「心配かけさせないで。あんたにとってわたしはどうでもいい存在だろうけど、わたしにとってあなたはこの世で立った一人の娘なんだから」
 肩が小刻みに震えている。それだけははっきりと理解することができた。
「いつか」
 つかさの肩を抱きしめ、まりいはささやく。
「いつか、お母さんって呼んでもいい?」
 何も言わず、母親は娘を抱きしめた。

 私のやるべきことはしっかりした日常をおくること。
 学校行って、友達とはしゃいで。家に帰ったら母親と何気ない会話をして。他の人から見ればささいなことかもしれない。でも、私にとっては何よりも大切なこと。
 ケンカもするかもしれないし拒絶されるかもしれない。空都から帰ってきたからといって簡単にすべてが変わったとも思えない。
 それでも臆せず感情をぶつけてみよう。自分から動かなきゃ何も変わらない。それはどちらの世界でも同じはずだから。

 ――だけど、そんなことが本当にできる?

 髪を切りそろえ真新しい服に腕を通す。
 地球にもどって数日後。経過は小康状態。ひどい発作も起きることなく短時間なら外出もできるようになっていた。
 つかさとは少しずつ話をするようになった。天気の話や病状のこと。ぎこちないものだが、それでも昔に比べると進歩している。
 窓を開ければは空が広がっていた。
 空都のような風を感じるわけではない。だが、確かに空はある。
「あなたはどうしたい?」
 声が聞こえたのはそんな時だった。
 病室のドアをそっと開けると、そこには母親と少年の姿があった。
「オレも……知りたいです。つかささんのことも、椎名のことも」
 黒髪に同じ瞳の少年。彼の姿にまりいは見覚えがあった。なぜなら少女を変えるきっかけをくれたのが彼だったから。
 初めて本音を言えた、本音で接してくれた同級生だったから。
「だから――」
「大沢君……」
 病室の扉を開けて顔をのぞかせると、少年は――大沢は、びくりと表情をこわばらせた。
 ほっとしたような後ろめたいような、そんな表情。少し前の怒りと哀しみを抱えていた時とは大違いだ。
 一方、声をかけたまりいも続く言葉が見つからない。何かを言わなければいけないことはわかっているが、感情と行動がともなおうとしない。
 ふいに、大沢がまりいの手を握る。
「椎名借ります。ちゃんと戻ってきます」
 急なことに、まりいは二の句がつげない。言葉がみつからないまま少年と少女は病院を後にした。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 連れられた場所は、まりいが初めて目にするものだった。
「ここは?」
「我が家ゆかりの地」
 目前に広がるのはたくさんの花。数ヶ月たてば黄色い、大きな花を咲かせるだろう。
「……本当は、オレだけのゆかりの地なんだけど」
 首をかしげたまりいになんでもないとだけ告げると、大沢は腕を放した。
 花の名は向日葵(ひまわり)。陽の光を受けてまっすぐに育つ太陽の花。
 ――彼のように。
「椎名」
 まりいの明るい茶色の瞳を見据え、大沢は口を開く。
「『生きてたってしょうがない』なんて、悲しいこと言うなよ」
 黒い髪に黒い瞳。同世代の男子生徒よりも少し背が高い以外には取り立てた特徴はない。それが周りの大沢に対する評価だったし、まりい自身クラスメートという認識しかなかった。
「『負けるか』って思ってりゃなんとかなるもんだって。そりゃ嫌なこととかたくさんあるかもしれないけど、前向いてれば大丈夫だって」
 だが、その認識は間違っていた。
 さほど珍しくない黒の瞳には優しさがにじみ出ている。
 否。優しさではない。強さなのだろう。漠然と少女は思う。
 それはきっと、まりいに共通している。もしかすると彼の経験したものは少女以上に過酷なものだったのかもしれない。
「……くるかな」
 向日葵畑の中、小さな声が響く。
「本当に、そんな日がくる?」
「絶対くる」
 まりいの問いかけに、大沢は静かにうなずく。
 どうしてそんなことが言えるのだろう。
「学校行って、皆で笑ったりはしゃいだりできる?」
「できるに決まってるって」
 問いかけに応じるのは静かで、でもゆるぎのない眼差しで。
 どうしてそんなことが言えるのだろう。私のことを全く知らないはずなのに。

 本当だね。ショウ、私にはまだやるべきことがある。

 大沢の服のすそをつかみ、まりいは顔をゆがめた。
「……がんばってみる。私、やってみる」
 泣かないと決めていたはずなのに、涙が頬を伝う。

 ずっと一人だと思っていた。
 どこにいても自分は一人ぼっちで、誰も自分のことを見てくれない。かつて少女はそう思っていた。
 でも今は違う。周りを見れば、こんなにも優しいものはある。

「帰ろう。つかささん心配してる」
「この前はごめんなさい」
 まりいが頭を下げると大沢は大げさなくらいに首を横にふる。
「オレこそごめん」
 その姿が微笑ましくて。人知れず、まりいは涙をぬぐった。

 もう一度踏み出してみよう。
 もしかすると、そこには優しい未来が待っているかもしれないから。

「椎名」
 数歩先で足を止め少年は声をかける。
「話したいことがあるんだ。……聞いてくれる?」
 大沢の声に、まりいは穏やかな笑みを浮かべた。
BACK | NEXT | TOP

このページにしおりを挟む

ヒトコト感想、誤字報告フォーム
送信後は「戻る」で元のページにもどります。リンク漏れの報告もぜひお願いします。
お名前 メールアドレス
ひとこと。
Copyright (c) 2004-2006 Kazana Kasumi All rights reserved.