佐藤さん家の日常

その3

 あいつを見つけたのは夕暮れ時。

「皐月(さつき)、今日は生徒会?」
「いーや。今日はまっすぐ帰る」
 草薙皐月(くさなぎさつき)。これでもれっきとした女だ。
「せんぱーい、さようなら」
 下級生に手を振ると『きゃあっ』っと黄色い声が響く。……ちょっと待て。
「おー、相変わらずのもてっぷり」
「それはどういう意味?」
 非常に嬉しくない台詞に振り返ると友達は『何を今さら』と笑って答えた。
「あんた女の子ばっかにもてるでしょ。男の子が軽く嫉妬するくらいだし」
「あたしってそんなに男っぽい?」
「そりゃあね。だって――」
 他愛もない話をしながら、校門を出た時だった。
「ひったくりだ誰か捕まえてくれ!」
 目の前を中年のオヤジが駆け抜けていく。腕の中には奪われたとおぼわしき財布。
 あたしの目の前でそんなことやろうなんざ百年早い!
「おいあんた!」
 叫ぶと同時に持っていたカバンを投げつけ、よろめいたところにすかさず跳び蹴り。
 運動神経には自信あり。男はあっという間にお縄になった。
「さすが!」
「いいぞー姉ちゃん!」
 飛び交う声援に軽く手を振って答える。
「ほら。大の男に跳び蹴りできる女ってあんたくらいしかいないし」
 友達の言葉に苦笑しかできない。
 悲しいけど、曲がったことは見逃せない。そしてそんな正確を嫌ってない自分がいる。『さすが姉御!』とか言う通りすがりの男子達に『誰が姉御だ!』なんて苦笑まじりに会話して。
 そして。
「…………」
 あいつは少しだけ目を見開いてあたしの方を見ていた。

 悲しいけど、これが現実。
 いい方にとると悪いことは見逃せない、悪いようにとれば単純。そんなかんじだから生徒会の仕事だって半ば強引に引き受けさせられた。選挙演説の時の盛況たるやすさまじい。黄色い声をあげるのは女の子だけ。別にもてたいってわけじゃないけどなんか……ね。あたしだって女だ。おしゃれをしたり恋だってしたくなることだってある。
「諸羽(もろは)」
「なーに?」
「あたしってどう見える?」
 妹に声をかけると、うーんと一つうなった後、手をぽんと叩いてこう言った。
「男前!」
 十中八九の人間はこう答える。悪気があって言ってるんじゃないだろうけど、身内の言葉が一番こたえるよ。
「だってカッコいいじゃん。ボクの自慢のお姉ちゃんだし」
 目を輝かせて言う妹は可愛くて、元気いっぱいで。
 妹は時々姉のあたしから見ても驚く行動にでることがある。元気で前向きなのは草薙家の特徴。でも悲しいかな。可愛らしさはほとんど次女に受け継がれたみたい。
「あたしはそのっ……」
『可愛くなりたい』なんていうのはあたしの柄じゃない。そんなことはわかってるけど。
 あの時あった男子は茶色がかった髪にあたしより少し高いくらいの背で。顔は、女のあたしが言うのもなんだけど綺麗だった。かと言って女顔というわけでもない。 きっとあたしには無縁の人種だ。
「……髪のばそうかな」
「なんで?」
 姉の心、妹知らず。あたしのつぶやきに目の前の妹はきょとんとしてた。

 次に見つけたのはやっぱり放課後。
 いつものごとく家路について川沿いの道を歩いて。
「……?」
 そこにいたのは一人の男子。あたしの学校の制服を着て、一点をじっと見つめている。
 その先にあるのは一つのダンボール箱。
 声をかけようとして、視線がぶつかる。
 茶色の髪に綺麗な顔。あたしに気がつくと、振り切るようにその場を去っていった。
 何かいけないことでもしてたのか。周りに誰もいないのを確認してダンボール箱に近づいて。中身を見て男子のとった行動に納得する。
 そこにいたのは一匹の子犬。ところどころ汚れてるけど愛らしい目は健在で、あたしの方をじっと見つめている。
 だめ。こういう場面は弱い。これで『くぅん』なんてなかれたら黙ってられない。
「あんたも、ああいう人に拾われたらいいんだろうね」
 残念だけど、あたしの家じゃ飼うことができない。子犬の頭を撫でるとそのまま家に帰った。

「――ってことがあった」
「それ、二年の佐藤じゃない?」
 お弁当を食べながら先日の一件を話すと、友達にそう言われた。
「思ったより普通の名前なんだ」
「二年の双子って有名だよ? 美形だし中身が奇抜だから。知らなかったの?」
 首を縦にふると友達は意外そうな顔をした。
「とにかく元気なのが兄の春樹でメガネかけてる方が弟の夏樹」
「くわしいね」
「そりゃそうよ。なんだかんだ言って競争率高いんだから」
 競争率か。確かにあの顔じゃ女の子がよってきそう。
「去年の入学式ちょっとした話題になったよね。にぎやかなのが入ってきたって」
「そうそう」
「一人称が『僕』が春樹くんで『俺』が夏樹くんなのよね」
 時代の波に乗り遅れてたのはあたしだけだったらしい。ひっそりしょげてると『皐月は女の子にもてるから』と嬉しくないフォローが返ってきた。
 そんな奴にあれを見られたのか。あたしって一体。
「そう言えば夕方雨になるみたい」
「えーっ、傘持ってきてないのに」
 その後の会話はほとんど耳に入ってない。
 ここは本格的に髪のばさないと駄目かなぁ。

 久しぶりに生徒会の仕事をしていたらすっかり遅くなった。
 雨は降ってたけど傘を持ってきてたからぬれずにはすんだ。
 そういえば、昨日の犬どうしてるかな。ぬれてないといいんだけど。せっかくだし寄ってみるか。
「……あれ?」
 ダンボールはもぬけの殻だった。
 誰かが拾っていったのかな。だったら安心できるけど――
『くぅん』と例の声を聞いたのはそんな時。川を見ると、昨日の子犬がみごとなまでに流されていた。
 正確には岩場にひっかかっていたからなんとか無事だけど。でも川は水かさが増していて、流されるのも時間の問題になりそう。
 周りには誰もいない。これって、やっぱあたしが助けないといけないってこと? ああっ、誰だよこんなことろに捨てたの!
 水、冷たくないよね。なんてことを考えながら荷物を道路の隅に置く。考えても仕方ない。女は度胸。やるしかない!
 いざいかんと足を半ば川の水につけた時だった。
「あんた! 何してるんだ!」
 ぐいっと腕を引っ張られてそのまま引き寄せられる。そこにいたのは最近なぜかお目にかかる茶色の髪の男子。メガネしてないから――兄貴の方か。
 形のいい眉がつりあがってる。兄はとにかく元気とか言ってたけど、今の彼はとてもそんな風に見えない。
「水の温度が何度だって知らないのか?」
 季節は五月。まだまだ水は冷たいだろう。そんなことあたしだってわかってる。 でも放っておくわけにはいかない。
「仕方ないだろ! 犬が流されてるんだから」
 我ながらくってかかってしまうのが悲しい。この場合『ごめんなさい』ってしおらしくしてるのが普通の女の子の反応なんだろうけど。
「犬?」
「ほらあそこ」
 犬のいる方向を指差すと、男子は瞬時に顔色を変える。
「誰もいないなら自分でなんとかするしかないだろ。だから――」
 男子は話を聞いてなかった。傘を預けると上着を脱いで川の中に入っていく。
「ちょっと!」
 あたしの静止もまるでおかまいなし。『今水が何度だって知らないのか』って言ったのはそっちだろうが!
 結局二人ともずぶぬれになった。
「あんた本当に奇抜だね」
 友達の言ってたことは本当だった。顔に似合わずあたしに負けず劣らずのすごいことをやってくれる。
「こいつ、これからどうするの」
 無事助け出された犬を撫でながら、男子に聞いた。
「飼いたい……けど無理。家、もう一匹いるし」
 そう言った佐藤の方がよっぽど捨て犬のような顔をしてた。自慢じゃないけど、あたしはこういうのに弱い。基本的に姐さん気質なのだ。
 ったく。仕方ない。
「要はこいつの居場所があればいいんだろ? 頼んでみるよ学校に」
 そう言うと、男子は目を丸くした。
「ほっとけないの。あたしが」
 こいつを捨てた奴は許せないけど。ここで見捨てたらあたしも同罪だ。
「……手伝ってもいい?」
「え?」
「俺も手伝います。押し付けるわけにはいかないから」
 へぇ。見かけによらず真面目なんだ。感心感心。
「じゃあ名前つけてあげて」
 子犬を突きつけると男子は――佐藤は真剣に考え始めた。
 こうして見るとみんなが騒ぐのもうなずける。茶色がかった黒髪に切れ長の瞳。あたしは面食いじゃないけど目の前の男子の顔は綺麗だから。
「あたしは草薙皐月。あんたは佐藤だよね?」
「はい。夏樹(なつき)です」
 ……夏樹って……
「……弟?」
「そうです」
「だってメガネ……」
 そう言うと、ポケットからメガネを取り出した。
「ベタすぎだろ。それ」
 思わず口からもれてしまった言葉に気にすることなく、佐藤は――佐藤夏樹はメガネをはめる。
「もともと度はそんなに入ってないんです。それに、こんなにひどい雨だと余計見えにくいし」
 確かにそうなんだろう。 だけど、その……
「……あのさ。おとといのひったくりの現場、いた?」
 おそるおそる聞くと、佐藤は首を縦にふった。
「あの時は眼鏡壊れてたんです。人だかりができていたから寄ったんですけど。あれ先輩だったんですか?」
 本当にベタな。
「名前か……」
 当人はそんなことおかまいなしに犬の名前を考えている。考えること数分。佐藤は子犬の丸い目をみるとこう言った。
「さくら。学校で飼うことになるなら」
「よかったな。さくら」
 そう言うと、さくらは嬉しそうにしっぽをふって答えた。
「ありがとうございます。先輩」
「どういたしまして」
 まあいいか。どっちでも。

 そんな感じであたしの一日は過ぎていく。
 草薙皐月、十七歳。今後の課題はもう少し女の子らしくなること也(なり)。
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