委員長のゆううつ。

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STAGE 1 委員長の受難。

その6

 学校に通って、終わったら家の仕事を手伝って。たまに先生に呼び出されてクラスの仕事を手伝って。そんな毎日が続くはずだったのに。なぜか目の前には故郷に帰ったばかりの銀色の髪の男子がいて。一体、何が、どこで間違ったんだろう。
「ちょっと失礼」
 口で言ったのと行動に移したのはほぼ同時。
「いててててて!!」
 非難じみた抗議の声はこの際無視する。修学旅行の二日目で。目が覚めて、二度寝するのも嫌だったから早めに制服に着替えて。
「ちょっと、委員長さん痛いんですけど!?」
 ちょっと待って。正確には散歩の途中で何かがあったような気がする。もっと言えば、売店へ行く途中で何かが起ったような気がする。具体的には泊まってる部屋を出て、外に出る途中で売店に立ち寄って。早かったから店はまだ開いてなくて。仕方ないから宿のロビーをうろうろしてて。その頃にはあたしと目の前の男子との接点はほぼなくなってたはずだ。
 なのに、目の前には青い瞳があって。彼は十月の末に祖国に帰ったはずだ。百歩譲って日本に戻ってきていたとしても、彼は二年生なんだから修学旅行に来ました。なんてことはあり得ない。
「そのへんにしてあげてはどうですか?」
 第三者の声に促され、初めて自分が相手のほおをつねっていることに気づく。
「痛そうですね」
「痛い」
 恨みがましい視線を向けられるも、またもや無視。今はそれどころじゃない。
「夢オチってことは――」
「ないですね。残念ですけど」
 第三者、もといスープとサンドイッチを差し出してくれた男の人がやんわりと否定する。ついでに今度は紅茶を差し出してくれた。なんとも気配りのゆき届いた人だ。
 真偽を見極めるために今置かれている状況を再確認してみる。今までいた場所。修学旅行先の宿の四階、四〇六号室。雪国だったから外は寒かったけど、六人一組の畳部屋は暖房が入ってて暖かかった。窓から見える景色は綺麗で。今年はじめてみる雪だねって友達とはしゃいでた。そもそも今朝だって雪を間近で見るために散歩にでかけたんだ。
 今いる場所。畳の代わりに敷き詰めてあるのは木の板。大目に見れば古ぼけたフローリングとも呼べないこともない。寝るときに使った布団の代わりに置いてあるのは簡素なベッドとクリーム色のテーブルとイス。あとは胃袋に入ってしまったスープとサンドイッチの入ったお皿、マグカップ。もっともサンドイッチは途中で誰かさんに食べられてしまったけど。
 窓から見える景色は霧。色だけ見たら雪と間違えるかもしれないけど粒は小さいし何よりしっとりしてるし。温泉とかのミストサウナってこんな感じなんだろうな。入ってたらお肌がきれいになりそう。そんなの気にする年じゃないけど。
 雪じゃないから冷たくはない。積雪じゃないから埋もれることはなかったものの、霧のおかげで何も見えないし挙げ句の果てには水辺で足をぬらしちゃって。やっとの思いでここまでやってきた。
 修学旅行先の宿じゃなくて自分の部屋でもなくて、真っ白な霧だらけの場所。倒れていたあたしを誰かが抱えて保健室まで連れて行きました、ってことは断じてなくて。何よりも、頬をつねられて痛いって言ってるし。あたしじゃなくて別の人がだけど。
「現実だってことがよくわかった?」
 結論。悔しいけど認めざるをえない。ここが今までいた場所とはまったく違うということに。
 それにしても。
「なんでぼくがこんな目に遭わないといけないのさ」
 ほおをさすりつつ、なおも恨みがましい視線を向ける先輩をよそに。さっきもらったばかりの紅茶に口をつける。
「案外、女々しかったんですね」
 一口飲むと、口いっぱいに甘い味が広がる。ティーカップには柑橘系の果物が薄切りにされてのってるし。おいしい。あとでもう一杯もらおう。
「覚えておいて下さい。自分のほおをひっぱるのは夢か現実かを見分けるうえで、きわめて重要な作業なんです」
 中身が半分になったティーカップをテーブルに置いて、頬をつねられた人にしごく真面目な視線を向ける。
「それはあなたの世界でなんですか?」
「そうです。とりわけ日本人の」
 紅茶を入れてくれた長身の男の人にはうなずきを返す。そういえば、まだ名前も聞いてなかった。こんなによくしてもらってるのに。
「でも、ぼくが痛いだけじゃ何の意味もないだろ」
 そこはノリです。
 と言うよりも、ちょっとした嫌がらせです。
 ということは表面におくびも出すこともなく。大の男が小さいことでくよくよしちゃいけませんよと返しておく。ついでに残りの紅茶を飲み干しながら、今までのことをふり返ることにする。修学旅行の二日目に何かがおこってこうなった。目の前には久しぶりに見る銀色の髪の男子と見ず知らずの長身の男の人。ここが今までいた場所じゃないってことだけは痛いほどよくわかった。わかったからには次にやるべきことは一つ。
「状況説明をお願いします」
 空になったカップを再びテーブルの上に置くと、二人の男性に向かって深々と頭を下げる。お腹はいっぱいになったし心の準備はまだだけど、受け止めようという気力はついた。後は二人の話を聴くのみ。
「どのあたりから話せばいいでしょうか」
 はじめに切り出したのは長身の男の人だった。
「その前に、お名前教えてもらってもいいですか」
 『長身の男の人』と呼び続けるのもいい加減面倒に、もとい、失礼だ。サンドイッチやスープ、ひいては紅茶までごちそうになったのに。
「僕はカリン・エイクと言います。これからどうかよろしくお願いしますね」
 漆黒の肩より少し上で切りそろえられた髪がさらりとゆれる。二メートルくらいの長身で、髪がきれいで翠玉(すいぎょく)色の瞳をした男の人。あと、物腰おだやかな紳士。脳内の人名辞典に書き足しておこう。
「高木詩帆(たかぎしほ)です。楠木高校の1年6組29番です」
 つられてあたしまで頭を下げてしまう。加えて脳内辞書からここではまったく役にたたない詳細情報まで引き出してしまった。そんなあたしの胸中を知ってかしらずか。彼は始終穏やかな笑みを浮かべていた。
「わかりました。シホさんとお呼びすればいいですか」
「はい。私もカリンさんって呼ばせてもらいます」
「そんなにかしこまらなくてもいいですよ。……と言っても緊張してしまいますよね」
 翠玉色の瞳は表情と変わらないくらい穏やかで。ここで初めて会ったのがこの人でよかった。他の人だったら一体どんな目にあっていたことやら。考えるだけでぞっとする。
「お食事ごちそうさまでした。おいしかったです」
 あらためてお礼を言うと、翠玉の瞳が細くなった。
「よかった。僕の自信作だったんです。
 スープにはこのあたりで採れる海草(うみくさ)を使いました。パンは手作りを用意したかったんですが時間がなかったので買ってきたものを。その代わりといってはなんですが、卵は今日とれたばかりのものですから新鮮ですよ。前作った時はリズさんやセイルに味が薄いと言われていたんですが、気に入ってもらえてよかったです。あとは――」
「そのへんでストップ」
 ここにいるもう一人の男子の声が制止をかける。熱弁をふるっていたのが自分でもわかったんだろう。すみません、とカリンさんは頭を下げた。あたしとしては、このまま料理評論家の講義を受けてもよかったんだけど。
「彼はセイルです。お知り合いのようですね」
 咳払いをして。カリンさんはもう一人の男子を紹介する。白に近い銀色の髪に青の瞳。肌は白くて、服の袖からはそれよりさらに白い布が巻かれている。着ているのは紺色のブレザーに同じ色のスラックスじゃないけど、瞳からのぞく悪く言えば馴れ馴れしい皮肉屋、うまく言えば人なつっこい視線は初めて会った時のままだ。
「一応」
「当然。ぼくって先輩だから」
 胸をはるのは銀色の髪の男の人。どうでもいいけど『先輩』ってフレーズが相当なお気に入りみたいだ。
 『皮肉屋な自称先輩まがいの男子』こっちは脳内辞書にそう書いとこう。あと『サンドイッチを横取りされた』という事実もつけ加えて。
「ここってどこですかって訊いてたよね。『ここ』が学校じゃないことは理解できる?」
 質問というよりも、確認をとるかのような先輩の声。首を縦にふると青い瞳は続けて問いかける。
「じゃあ、ここがニホンってところじゃないってことは?」
 なんだか話が世界規模になった。
「じゃあ、ここが地球ってところじゃないことは」
 最後には話が地球規模になった。同時に誰かが眠ってるあたしを海外行きの飛行機に乗せたという可能性もなくなった。わかってたけど。
 学校じゃなくて、修学旅行先の宿でもなくて、生まれた祖国でもなくて。
「じゃあ、ここってどこなんですか」
 眉根を寄せると二人の男の人達は互いに顔を見合わせる。間違った質問はしていない。日本や地球じゃないと言うのなら、ここは一体どこになるんだ。
 答えを待つこと数分。腕組みをしたまま、あたしの疑問に応じてくれたのは先輩だった。
「海の惑星(ほし)」
「は?」
「異世界、とも言っていいかな」
 わけがわからず顔をしかめると。先輩はさらりとこう言ってのけたのだった。
「霧海(ムカイ)ってとこ(世界)だよ。ここは」
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