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● 「委員長のゆううつ。」番外編 --- 人魚姫とおうじさま。 ●

 とある寝室で、彼女は息をひそめていた。
 あたりには誰もいない。仮に人がいたとしても誰も彼女をとがめることはなかっただろう。なぜなら彼女は彼にとってもっとも近しい者だったから。突如として現われた長い髪の乙女。どこから来たのか、身元も素性もわからない。それでも美しく、笑顔の可愛らしい彼女を放っておけず。結果として彼女はとある男性のそばにおかれることとなった。はじめは訝しがっていた人々も次第に彼女を受け入れるようになり、海のそばのお城で二人は仲むつまじく暮らしました。
 ――となればよかったのだが。突如として彼女は彼のもとを離れることを余儀なくされた。なぜならば彼の結婚が決まったからだ。
 月明かりに照らされたのは幾度となく見てきた彼の顔。この夜が明ければ彼は自分の元を離れてしまう。否。優しい彼のことだ。結婚してもなお自分のことをそばにおいてくれるのだろう。それはもう、本当の妹であるかのように。もしかすると、彼の妻となるべき人も自分を邪険にすることはないのかもしれない。
 それでも。自分はここにはいられない。
 手元を見れば、装飾のほどこされた銀色の短剣。海に住む姉達が自身の美しい髪と引き替えに魔女から手に入れたものだ。曰く。これで愛しい人を殺めれば元の姿にもどれるらしい。
 寝室の窓を開ければ視界に映るのは懐かしい海。かえりたくても声と引き替えに手に入れた足では海の中にはもどれなかった。それが、この短剣を使うだけであの場所に戻れるという。
 窓を閉じ、再び寝室にもどれば気持ちよさそうに眠っている彼の姿。ほほえましいものだ。これから先、自分がどうなるかも知らないで。
 彼の胸の上で静かに短剣を持ち上げる。ほんの少し。ほんの少しだけ力を加えれば、自分は自由の身になれるのだ。何をためらう必要がある。
 さようなら愛しい人。貴方を殺して私は幸せになります。
 ――って。
「なんであたしが昼ドラみたいなことしなきゃなんないのよ!」
 大声とともに短剣を振り下ろす。

 そこで、目が覚めた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「うーみーはーひろいーなー、おおきーいーなー」
 海岸で、先輩はのんきに歌を歌っていた。
「よく知ってますね」
「日本に来たんだから、日本の歌を歌うのが常識でしょ」
 そう言って続きを歌いだす。確か日本の小学校でしか習わないと思ったけど。しかも低学年で。
「つーきーがーのぼるーしー、ひがしーずーむー」
 銀色の髪に青の瞳は正直目立ってしょうがない。ましてや流暢な日本語で歌うもんだから、子ども連れのおじいちゃんやカップルが遠巻きに見ている。一人ならともかくあたしだっているんだ。そこらへんのところはぜひとも考慮してもらいたい。
 あたし、高木詩帆(たかぎしほ)と先輩はとある事情で海岸沿いに来ていた。とは言っても単に『日本の海を見たい!』ってごねられただけなんだけど。学校を案内するとは前から言っていたけど学校外のことは想定外。一人で勝手にどこでも見てきてくださいと突き放せば『右も左も知らない留学生にその仕打ちはないんじゃない?』と半分泣きつかれ現在にいたる。まったく変な外国人と知り合いになったもんだ。
「詩帆ちゃんは機嫌悪そうだね。何かあった?」
「夢見が悪かったんです」
 あなたにつきまとわれたからです。そもそも子どもじゃないんだから高校生にもなって水遊びなんてしないでくださいと言わなかったのはせめてもの優しさだ。
 学校帰りに砂浜を散歩。普通ならここでキャッキャウフフと一昔前のドラマのように波をかけあってもいいのかもしれない。でも悲しいかな、あたしと先輩はそんな間柄でもなく。一人はしゃぐ先輩にうろんな瞳を向けた後、昨日みた夢を回想してみる。
 あれはまごうことなき人魚姫。しかもあれだ。ラストシーンの直前。
 あのままいけば王子様の心臓をぐっさり突き刺していたことだろう。その後の惨劇を思うと我が夢ながらぞっとする。アンデルセンのお話が昼ドラになってしまうところがなんともあたしらしい。しかも人魚姫って自分の声と引き替えに人間の足をもらったはず。最後の最後でなに叫んでるんだか。
「どんな夢だったの?」
「とある童話のお姫様になった夢です」
 内容をかいつまんで話すと先輩はふむふむとうなずく。どうでもいいけど先輩、制服の裾がぬれてますよ。
「それで。彼女はどうなったの?」
「泡になって消えました」
 物語通りにいくならば、人魚姫は王子様を傷つけることなく海に身を投げた。ひとふりの短剣だけを残して。
「変わった話もあるもんだ」
 変わったもなにも、そういうお話なんだから仕方がない。ただただ王子様の幸せだけを願って海に消えたお姫様。はたして彼女はそれで、本当に幸せだったのだろうか。枕元に残された短剣を見て、王子様は何をおもったのだろう。ちょっとだけ感傷的な気持ちにひたっていると、『それにしてもさ』と近くで声がした。どうやら水遊びは終わったらしい。
「ひっどい男だね。さんざん優しくしておいて、自分はちゃっかり他の女のところにいくんだ」
 そういう見方もあるのか。ますます昼ドラじみてきた。もしくは二時間ドラマのサスペンス劇場。
 よっぽどはしゃいでいたんだろう。足はもちろんのこと、髪までしぶきがかかっていた。
「あたしから言わせれば、どっちもどっちですよ」
 荷物の中からハンドタオルを差し出しながら毒づく。長い間ずっと一緒にいながらまったくこれっぽっちも気づかなかった王子様も憎らしいけど、あれだけ長い時間がありながら気持ちを伝えようとしなかった人魚姫にも腹がたつ。いくら声が出せないからって他にももっと方法があるでしょうが!!
「お姫様もお姫様で、そんな男なんかほっといてさっさと新しい男捜せばよかったんですよ」
「詩帆ちゃんは相変わらず手厳しいね」
 タオルの下で先輩が苦笑している。ほっといてほしい。あたしは恋愛沙汰とは無縁の存在なのだから。
「もしさ、詩帆ちゃんがそんなふうになったらどうするの?」
 ふいに先輩がつぶやく。
「そんなってどんな」
「好きな男を見ず知らずの女にとられたらってこと。お話みたいに泡になって消えちゃう?」
 夕日に銀色の髪がさらされる。全部ふききれていないんだろう。水滴が日に当たって少しだけまぶしい。タオルからのぞくのは海のように青い瞳。人魚姫が男だったらこんな感じなのかな、なんてことをぼんやりと考える。確か、人魚姫って綺麗で長い髪を持つ美しい女性だったはず。癪だけど、今だって背景にしっかり映えているし。それとも人なつっこい先輩のことだ、ここは王子様と呼んだ方がいいのかもしれない。なんてことは頭のすみに置いて。
 目をつぶって考えてみる。もしあたしが好きな人を誰かにとられそうになったら。もしあたしが好きな人を傷つけないといけなくなったら。
 そんなの答えは決まっている。
「そんなことがあれば、平手して海に帰りますよ」
 かわいさ余って憎さ百倍といっても限度がある。なんで自分の人生と引き替えに王子を傷つけなきゃならないんだ。そもそも自分の人生と引き替えにしていいほど人を好きになったこともない。
 実りのない想いにはさっさと区切りをつけるにかぎる。でも何も言わないのも癪だから、どんな手を使ってでも気持ちだけは伝える。ついでに仕事見つけてオールド・ミスとして生き抜いてやる!
 そう伝えると詩帆ちゃんらしいと笑われた。
「そもそも三つ編みメガネの女子高生に人魚姫は似合いません」
 悔しいけど、ごくごく普通の日本人のあたしが王子様を想って涙する――なんてことは、残念ながらありえないだろうな。たぶん。
「そうかな」
 小首をかしげられた後、頭に手を添えられる。何をされるかと身構えると結んでいた髪ゴムをはずされてしまった。
「髪きれいじゃん。けっこう様になってると思うけど? お姫様」
 そのまま頬に手を当てられて。黄色人種のあたしとは違う白い手。目の前にいるのは人魚姫でも王子様でもなんでもない、青くて鋭い瞳を持つ男の人だった。
「先輩こそどうなんですか」
 ほどかれた髪に反対の手を添えられて。思いもかけないことをされて体が硬直してしまう。でもこんな場面でも反論してしまうところがやっぱりあたしだ。
 先輩のことだ。好きな人を奪われるようなことがあれば、さぞかし悔しがるのではないか。それとも意外と純情で笑顔で見送ったりするんだろうか。半分強がり、半分興味本位で尋ねてみると。
「そりゃあ、もちろん」
「もちろん?」
 今度はあたしが聞き返す。返事の代わりに差し出されたのは水をふくんだタオルと。
「不要なものは消しちゃうに限るってね」
 冗談なのか本気なのかわからない、危険きわまりない眼差しだった。
「……ずいぶん物騒なこと言うんですね」
 瞳を見据えたまま頬にあてられた手をやんわりと取り除く。
「日本の海は堪能できましたか」
 ジト目で言うともちろん! と無邪気な声。頬が熱いのは気のせいだ。たぶん。
 いつか、あたしにもくるんだろうか。恋し恋い焦がれ、報われぬ想いに涙を流す夜が。
「……ないな。絶対」
 自己完結をすると『風邪ひく前に帰りますよ』と海辺を後にする。小学校の童謡にあったように。大きくて青い波はいつまでもゆれていた。
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