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● EG番外編 --- 秘密の言葉(後編) ●

 アルベルトは色々なことを教えてくれた。料理のやり方やお城の隠し通路。言葉遣いは何度もなってないって注意されたっけ。もちろん術や勉強だってリューザから教わった。本当は『一般市民的喧嘩の方法』もアルベルトに教わったんだけど怖くてまだ実践したことはない。
 でも数日後、アルベルトはすぐに旅立ってしまった。元々ミルドラッドに帰ってきたのも必要なものを取りに立ち寄っただけだったから。
「アタシも行く!」
「お気持ちは嬉しいのですが、シェリア様には危険です」
「だってアルベルトはアタシの部下なんでしょう? だったら守ってよ!」
 今思うと、この時もかなり無茶苦茶なこと言ってた。でもそれくらい行ってほしくなかった。
 アタシに親身になって色々なことを教えてくれたのはリューザとアルベルトだけ。二人はアタシにとってもう一つの家族。アルベルトはアタシにとって友達、ううん、お兄ちゃんみたいだったから。
「シェリア様、あなたは私と友達でいたいんですか? それとも臣下でいてほしいんですか?」
「どっちも嫌! お兄ちゃんがいい!」
 まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるように――本当に子供だったんだけど、アルベルトはいつもの笑顔でこう言った。
「私は私用で出かけるんです。それに、あなたがいては足手まといです」
「……アタシ、じゃまなの?」
「邪魔です。少なくとも今はね」
 笑顔でずばり。もう少し言葉を選んでくれてもよかったのに。でも、だからこそアルベルト・ハザーなのよね。他の人達は誰もそんなこと言わなかったもの。うわべだけの笑顔に公女としての笑顔で応じる毎日。今まではそれが公女としての勤めなんだって思ってた。
 でも彼は違った。どんな時でも本音で接してくれた。公女じゃなくて、シェリアとして見てくれた。
 だから嬉しかった。だからお兄ちゃんになってほしかった。だから――
「やっぱりいや。行かないで!」
 泣き叫んで抱きついて。本当に子供。でも子供なりの精一杯だった。
 そんなアタシの背中を軽く叩いた後、目線をあわせるとアルベルトは優しく諭した。
「大切な人を捜してるんです。眠り姫の目を覚ましにいかなきゃいけませんから」
「それってアタシよりも大切な人?」
「ええ」
「……はっきり言うのね」
 もう何を言っても無理なんだ。その人のことが本当に大切なんだ。子供ながらに納得した。でも完全に離れることはできなくて。
「お父様もアタシのこと邪魔だから、会ってくれないのかな」
 気がついたら、アルベルトの服の裾をつかんでいた。
「ねぇ、アルベルト。アタシは人形?」
「どうしてそんなことを聞くんです?」
 相変わらず笑顔のままの神官に、顔を上げて言った。
「だって、お父さまもお母さまもアタシのこと見てくれないもの」
 ずっと公務だからって顔もあわせてくれない。あわせたとしても学問は進んでいるか、公女としての振る舞いはできているかとそんなことばかり。面とむかってアタシを見てくれたことは一度もない。
「あなたはそう思うんですか?」
 どうなんだろう。わからない。
 黙ったままでいると、アルベルトは静かに語りはじめた。
「……昔、道具でいたいと言って心を閉ざした子供がいました」
「え?」
 急に何を言い出すんだろうって思った。でもアタシは彼の話をさえぎることはできなかった。だって、目の前の瞳は真剣だったから。
「人形になれば何も考えなくてすむから。いいことも、嫌なことも全て忘れてしまえるからだそうです。あなたはそうなりたいですか?」
「そんなのいや!」
 やっと泣き止んだのに視界は新しい涙でかすんでいた。
「どうしてです?」
「だって、そんなのつらすぎるじゃない!」
 お父様とお母様と遊びに行ったこととか、こうしてアルベルトとお話したこととか。悲しい事だってあったけど忘れたくないよ!
 アルベルトはアタシが泣き終わるまで黙って隣にいた。視界が元に戻ったのを確認すると、彼は静かにこう言った。
「シェリア、お願いがあります」
「おねがい?」
「友達として、兄としてのお願いです。約束してくれますか?」
 いつもは笑みをたたえている碧眼が、この時だけはアタシの方を真剣に見据えていた。
「あたりまえよ! たいせつな人が困ってるのに何もできなくて何が友だちなのよ!」
 強引に涙をぬぐう。そこには穏やかな――優しげな笑顔を浮かべたお兄ちゃんがいた。
「……アルベルト?」
「ありがとうございます」
 再びアタシと視線を合わせると、お兄ちゃんは笑顔で、でも真面目な声で告げた。
「いつか、あなたの目の前に私によく似た、純粋でまっすぐな心を持った、それでいて深い傷を負った子供を連れてきます。あなたはその子の友達になってあげてください。その子を守ってあげてください」
「『私』ってあなたのこと?」
「ええ。本当によく似ています」
 アルベルトに似てるってことはやっぱり目元涼しげな好青年ってことなのかしら? 凛々しくて、それで――
「哀(かな)しい思いをしているの? あなたと同じように」
 そう言うとアルベルトは少しだけ目を見開いた。だって時々寂しそうな、哀しそうな顔してたもの。アタシやリューザといる時は笑ってたけど、それでも何か隠してるみたいだったから。
「……アタシにできるかな?」
 深い傷ってどのくらいなんだろう? それを一人で抱えているなんて辛すぎる。アタシでどうにかできるなら力になってあげたい。本当にそう思ったの。
「あなたにしかできないんです」
 再び笑顔になって裾をつかんでいたアタシの手をゆっくりと離す。目は赤かったけど、涙はもう止まっていた。だってアタシには約束ができたから。
「いつか、三人で旅をしましょう。その子と私とあなたで。きっと楽しいですよ。もしかしたらもっと大人数になるかもしれませんね」
 その言葉は、アタシにはとっても大切なことに、宝物のように思えた。お兄ちゃんと、友達と旅をする。実現したらどんなに素敵なことだろう。
「わかった。やくそくよ!」
「ええ。約束です」
 笑顔で指切りを交わす二人には、別れの寂しさなどみじんもなかった。だってアタシ達には約束ができたから。
「あなたは公女である前に一人の人間なんだ。だから閉じこもってるだけじゃいけない。このことを忘れないでください」
 こうしてアルベルトは旅立っていった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「あなたってあの頃とちっとも変わってないわね」
「お褒めに預かり光栄です」
 冗談なのか本気なのか。五年前と全く変わらない表情でアルベルトは玉ネギをきざんでいる。
「あなたも変わってませんね」
「それはどーいう意味?」
 軽くにらむと『そのままの意味です』と返された。まったく。お兄ちゃんをやりこめるのは一筋縄じゃいかない。
 あれから五年。彼は本当にアタシの目の前に子供を連れてきた。正確には庭で気絶してた男の子。てっきり同じくらいの年の女の子を想像してたから、はじめはすっごく驚いた。よく考えてみればアルベルトは連れてくる子が男の子とも女の子とも言ってなかったのよね。
 男の子――ノボルの顔面には丸いものをぶつけたあとがあった。仕方がないから水で冷やして、ちょうど人手が足りなかったからアルベルトの提案で半強制的に護衛騎士と神官の弟子という肩書きを持たせて。今では立派な雑用係だ。
「もし違っていたらどうします?」
 いつもと変わらない笑顔。ノボルは『エセ笑顔』とか『極悪人』とか言うけど、アタシは笑顔の中に何かを隠してるんじゃないかなって思う。感情を悟られたくないから笑顔でごまかしてる、そう思うのは考えすぎかな?
「危なっかしいもの。このまま置いてきぼりにするわけにもいかないでしょ。あれでも騎士様なんだから」
「そうですね。料理洗濯、買出しまでしてくれるオプション機能つきですし。本当にいい拾い物をしました」
「それ本人の前で言ったら凹むわよ?」
 他の人ならいざしらず、言った相手が相手だし言われた相手が相手だから冗談じゃすまない。
「ベネリウスですか。あなたのお父上もなかなか洒落たことを言いますね」
 そう言うと笑ってアタシの頭の上に手を置いた。
「騎士をしつけるのは主君の役目です。頑張りなさい」
 頭を二、三度軽く叩いた後、玉ネギのみじん切りを残しアルベルトはいなくなった。
 主君と騎士って――
「アルテシア(主君)とベネリウス(護衛騎士)? まっさかー」
 笑いながら包丁を手にする。いくらなんでも深読みしすぎよ。
 ベネリウス。これはアタシの国に伝わるお話。黒髪に黒目の見目麗しい青年がアタシの国を、カザルシアを救ったって。そして、当時のカザルシアの末姫様を闇から守ったって。
 確かにノボルは黒髪に黒目だけど、全然それらしくない。本物のベネリウスに会ったことはないけど少なくともノボルよりは数倍カッコよかったはずよ。
「そーよ。ノボルなんて――」
「へー。ちゃんとむけたんだな」
 突然わってきた声に包丁を落としそうになる。でも床に落ちることはなかった。なぜならそうなる前に男の子が拾ってくれたから。
「危ないだろ。ちゃんと持っとけよなー」
 ぶつぶつ言いながらノボルが包丁を手にする。もう片方にはどこで買ってきたのか真っ赤なリンゴ。
 しゅるしゅるとリンゴがきれいにむけていく。悔しいけど上手。アタシなんかよりぜんぜん上手。
「このやけに細かい玉ネギのみじん切りは?」
「あなたのお師匠様」
 そう言うと『あいつ、こんな特技があったのか』って、とっても複雑そうな顔をしていた。
 そりゃそーよ。アタシに色々なことを教えてくれた人だもの。本当はあなたより料理上手なんだけど――その一言はやめとこう。本当に再起不能になるから。
「どーしてここに来たの? アタシが作るって言ったのに」
「一人よか二人でやった方が効率いーだろ」
 笑って盛り付けを始める。『カレーにみじん切りはないだろ。いっそのことオムレツでも作るか?』真剣に考えこむノボルの後姿をアタシは黙って見ていた。
「さっきは言い過ぎた。ごめん」
 ノボルがぽつりともらした一言をアタシは黙って聞いていた。
 わかってる。あなたはそんな人なのよね。
 アタシが公女様だってわかっても普通に接してくれる。これからだってきっとそう。
『アタシ、あなたと友達になりたいの』あの時の言葉を今も忠実に守ってくれてる。『アンタにとっては幸いだろーけど、今のオレは自分のことで精一杯だよ』それも忠実に守ってくれてるけど。
「ノボルは異世界に来て心細くなったことはないの?」
 ふと沸いた疑問を口にすると、男の子はふりかえって答えた。
「それこそ今さらだろ? うだうだ言っててもしょーがないし。幸いオレの場合、時間がたてば元の世界に帰れてるし、まあ――」
「『なんとかなるさ』?」
「そーいうこと」
 笑って応えると、今度は『卵はどこだ?』と台所を物色しはじめた。
 わかってる。あなたはそんな人なのよね。
 口ではとやかく言いながら、本当に逃げ出したことは一度もない。最近はシェーラと剣の稽古(けいこ)だってしてる。理由はわからないけど、とにかく頑張ってる。
 そして――
「ん? どーしたんだ?」
 男の子はきょとんとした顔でアタシの方を見てる。
「深い傷、ね……」
「へ?」
 ノボルはあいかわらずきょとんとした顔をしている。アタシと同じ年のはずなのに、こんな表情を見たらすっごく年下に思えてしまう。背だってアタシより高いのに。
 アルベルトの言ったことが彼を指しているのかはわからない。目元だって涼しげじゃないし全然カッコよくないし。でもアタシにも何かができる、そう言われたみたいで嬉しかったの。
「……しっかりしてよね。騎士様」
 旅はもうすぐ終わる。終わったら、みんな離れ離れになってしまう。ノボルもきっと自分の世界に帰ってしまう。だから今くらい友達でいさせてよね。
『あなたは公女である前に一人の人間なんだ。だから閉じこもってるだけじゃいけない』 アタシはシェリア。公女である前に15歳の女の子なんだから。
「シェリア?」
「なんでもない! ハゲないように気をつけなさいよ?」
「誰がハゲだーーーーっ!!」
 背中越しに聞こえる叫び声をアタシは笑いながら聞いていた。

『いつか、三人で旅をしましょう』
 それは公女様と師匠の、二人だけの秘密の言葉。
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