第九章「沙城にて(後編)」
No,9 再会
ずっと考えていたのだ。
なぜわたくしがこんな目に遭わなければならない。なぜわたくしだけが、しがらみに捕らわれなければならない。
自分の不幸を嘆くだけで何もしようとはしなかった。それなのに口を開けば周りを非難するものばかりで。
お前にとってわたくしは、本当に『わがままお嬢』でしかなかったのだろうな。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「はじめから、こうすればよかったのだ」
エルミージャさんの部屋にたどりつくまでの間、そんな話をしていた。
正直、こいつの口からそんな言葉が聞けるとは思わなかったから驚いた。
確かに出会った頃は我がままほうだいやり放題で。キレかかったこともあるし実際キレた。けど、事情がわかってからはキレることはなくなった――代わりにケンカするようになったな。一方的に斬りかかられてたような気もするけど。それでも、はじめに比べれば意思の疎通ができるようになったと思う。
「母上達のことはどうなるかわからない。だが、わたくしは縁を切ったのだ。あの人達の問題は、当人同士で解決してくれるだろう」
「そうよね。……そうするしかないわね」
相槌をうつシェリアに首肯する。なるほど、いつまでも我がままお嬢じゃいられないってわけか。
「それ、よかったのか?」
視線が首元にいってしまうのは明らかに違和感があるから。
緑みがかった金色の髪。少し前まで背中まであったそれは、今ではオレと同じくらいしかない。
「本当は切りたくてしかたなかった」
「そーなの?」
てっきり長髪が好きかと思ってた。
考えてたことが顔にでてたんだろうか。シェーラは横目でオレを見た後続ける。
「この国の女性としてのならわしだそうだ。特に皇女となれば規律がうるさくてかなわない」
考えてみれば、確かにこの国の人達は長かったような気がする。
また考えてたことがわかったんだろうか。シェーラは足を止めると、しごく真面目な顔で言った。
「それにわたくしは、お前と違って禿げない」
「オレだってハゲんわ!」
納得できない一言にがなりかえすと、シェーラは歩みを進める。
「そのわりには前々から気にしていたようだが」
人の全く気にしていない――ないこともない一言を告げた後、笑いながら進んでいく。オレの方は、なぜかシェリアになだめられながらその場に立ち尽くしていた。
前言撤回。こいつはいつまでたっても我がままお嬢だ。そもそも長年つちかわれてきた性格がそう簡単になおるわけがない。
「ノボル」
「今度は何」
半ばいらだちながら視線を送ると、お嬢は再び真面目な顔で言った。
「わたくしは何者なのだろう」
いつもと変わらない口調で。けど声に含まれた感情は、今まで聞いた中で一番弱々しいものだった。
「友人として、同じ男として聞いている。
物心ついた時からわたくしは、ずっと女性のまねごとばかりさせられていた。言動だって、振る舞いだって常人のそれとは違うことくらいわかっている。
シェーラザードの役から解き放たれたことは嬉しい。だがわたくしのやることはなくなってしまった。教えてくれ。皇女でなくなったわたくしは、一体何者なのだろう」
無理もない。いきなり取り残されたようなもんだから。
しがらみは多かったものの、逆を言えばシェーラは様々なものに守られていた。国しかりエルミージャさんしかり。そのまた逆もあるわけで。
しがらみから解き放たれはしたものの、今のシェーラには何の後ろ盾もない。大人びた容姿とは言え、こいつは十四歳。オレと同じ……子どもだ。認めたくないけど。
途方にくれた子どもの顔。この表情を知っていた。似たようなセリフも知っていた。忘れるはずがない。言ったのは他ならぬオレ自身だったから。そして、応えるべきセリフもわかっていた。
一つ咳払いをすると、びしと指を突きつける。
「お前さ、今度はオカマにでもなるつもり?」
「おか……?」
不思議そうに眉根を寄せる。どうやらオカマという言葉は異世界にはないらしい。
「今のお前はどこからどう見ても男だろ」
「そういうお前はわたくしを女性だと勘違いしたではないか」
「お前、人のあげ足とる癖やめろって」
苦笑すると、隣を見る。公女様はきょとんとした顔でオレとシェーラを交互に見つめていた。
まったく。困るよな。人にあれだけ嬉しい言葉を投げかけといて無自覚なんだから。
「急に変わるのは無理だって。けど、そうなりたいって思ってんなら大丈夫だろ」
今度はシェーラが首をかしげた。こっちもわかってないらしい。
言葉を思い浮かべるのは簡単だった。ただ、口にするのが照れくさいだけで。それでも言わなければ伝わらないわけで。
翡翠(ひすい)の瞳を見据えると、伝えるべきセリフを口早に紡ぐ。
「お前はシェーラで、オレ達の友達だってこと。それ以外の何があるんだ」
シェーラはぽかんとした顔をしていた、かもしれない。
そう思ったのは表情を少ししか見てなかったからで。なにせ、言い終わると同時に顔をそむけたから。
人に面と向かって『友達』って言うのってハズイよな。仲間っていうのも恥ずかしいけど。そんなことを考えてても、言ってしまったものは取り返しがつかないわけで。
「そうそう。昇もシェーラもアタシの大切な友達。それでいいじゃない」
わっていった声にますます顔が赤くなる。なんでこいつは、こんな場面でそんなこと言うかな。
「そういうものなのか?」
「そーいうもんよ!」
強引な結論に呆れた眼差し。けれど、口元がゆるんでいるのは確かだった。ついでに言えば、『お前はどうなのだ』と言わんばかりの眼差しをオレに向けている。
こういう時にかける言葉も決まっていた。口の端をあげて笑み一つ。
「そーいうもんだろ」
「……そういうものならば、仕方あるまい」
ぎこちない、けれどもいたずらっぽい歳相応の笑み。この日、シェーラは『我がままお嬢』から『我がまま野郎』に変わった。
「三人でこうして話するのって久しぶりね」
「そうだっけ?」
首をかしげると『そうよ』と即答で返された。
「霧海(ムカイ)に三人で取り残されて大変だったじゃない」
確かにそんなこともあったな。目が覚めたらとんでもないところにいて。三人でアルベルトの元にたどりつくまで、なかなかの珍道中だった。
そういえば、妙なセリフを聞かされたのもあの時だった。
「『強くはないけど、弱くもない』か」
一人つぶやいて苦笑する。あれって嘘だな。少なくとも後者は間違ってる。
「リザとリズさん、どうしてるのかしら。カリンさんも元気だといいわね」
「あの者達のことだ。元気でいないはずがない」
弱いことならわかっていた。強かったらあんなことは起こらなかった。忘れるはずもなかった。
「今度また、みんなで――」
「その話はまた今度にしよう」
首をかしげた二人に指をさす。
捜し人の部屋はもう、すぐそばまできていた。
「エル!」
エルミージャさんはそこにいた。
銀色の髪に褐色の肌。前に来たときと変わらない、と青の瞳が軽い驚愕にいろどられている。
……そりゃー、そうだろう。この状況じゃ。
「シェーラ……様?」
凛とした感じの美人。第一印象じゃそうだったはずなのに、頬に赤みがさしてるのは気のせいじゃないだろう。
シェーラ。お前、正真正銘、男だよ。
っつーか、同じ男でもオレはできない。
「逢いたかった」
いくら好きな人に会えたからって、そこまで抱きしめる、かつやることはないだろ。
オレ達のこと完全に無視してるだろ。少しは遠慮しろよ。っつーか、オレだってやってみたいよコノヤロウ。
オレと公女様は目のやり場に困り、自然と明後日の方角を向くことになった。ただし、耳だけは二人に傾けたままで。
「怪我はないか。まさか変なことはされていないな?」
変なことってなんですか。
「いいえ。女王陛下のおかげで何も」
「よかった。エルになにかあればわたくしは……っ」
「シェーラ様……」
おい。お前、今度は何をしでかすつもりだ。大人の階段駆け上がりすぎだぞ。
って、まだやるか。おい。これ以上やったらシャレになんないって。
ふと袖に妙な感触を受ける。隣を見るとシェリアが服の袖をひっぱっていた。
(顔)
意味がわからず眉をひそめると、公女様はため息混じりに言った。
(赤くなってる。おかしなことでも考えてたんでしょ)
(んなわけないって)
(うそ。鼻の下のびてるわよ)
(のびてない)
(のびてる)
「のびてないって言ってんだろ!」
「のびてるわよ!」
互いの声が大きくなったこと、いつのまにか二人の冷たい視線があったのはお約束で。
『どうぞ。おかまいなく』
まるでお見合いの仲人よろしく笑顔を送ると、そそくさと場を後にした。
思えば遠くにきたもんだ。
気づけば異世界にいて、もっと気づけば公女様の護衛と極悪人の弟子になっていて。
そして――
「待たせたな」
振り返ると、そこにはシェーラがいた。
「話はすんだ?」
問いかけにうなずきを返す。どうやら本当にすんだみたいだ。
「これから向かう場所に、同行してもらうことになった」
視線をずらすと頭を下げるエルミージャさんの姿があった。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
「……やっぱり鼻の下のびてる」
「違うって言ってんだろ!」
わかってる。あと少しなんだ。
「向かうってどこに?」
ほんの少しだけでいい。行く末を見届けたいんだ。
「姉上のいる場所だ」
その後のことは、お前に任せるから。
だから。
「友達であれば、ついてきてくれるか?」
「当然」
友人の声に、残された笑顔で応えた。