EVER GREEN

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第九章「沙城にて(後編)」

No,8 結末

 夢をみていた。

 金色の髪を持つ長身の男。瞳からのぞかせる空の色は、あの頃と全く変わりなくて。
「ここはあなたのいる場所ではありませんよ」
 そう。あの頃と。
「空天使か」
「久しぶりですね。空(クー)」
「貴様にそう呼ばれるすじあいはない」
 口が思うようにまわらない。誰かに体を動かされてるみたいだ。
「ここは俺に免じてとどめてくれませんか?」
 ぼやけた意識に響くのは聞きなれた声。
「黙れ。娘を助けられなかった者が何を言う」
「その娘がこの場にいたとしても?」
 視界に入ったのは懐かしい人々。後に続いた言葉も、まどろみの中では聞き取ることができなかった。
 ああ。もう何も考えたくない。
 深い眠りの中で、ずっとまどろんでいたい。
「ここはお引きなさい。ここで時間を費やしてしまうのは貴方にとっても本懐ではないでしょう?」
「……次はないものと思え」

 あの声は、誰のものだったんだろう。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 目が覚めると、そこにはシェリアの顔があった。
「だめ。まだ動かないで」
 上体を起こそうとして止められる。その顔にはいくつもの感情が浮かび上がっていた。
 歓喜。恐怖。安堵。数えあげたらきりがない。一体どれだけの感情を胸の中に押しとどめていたんだろう。
「そうも言ってられないって」
 なおも止めようとする手をやんわりとはらい体を起こす。腕の血は止まっていた。痛みはあるものの動かすことだってできる。加えるなら、共に倒れたはずの暗殺者の姿はなかった。双方あれだけの傷を負ったにもかかわらずにだ。さらに加えるなら、諸羽(もろは)の姿もない。
 何が起こったのか、誰の声だったのか。考えたくもなかった。
 けど、それでも見届けておきたいことがある。シェリアに支えられて首を動かすと、事態は終末を迎えていた。
「あなたさえいなければ、こんなことにはならなかった」
 口を開いているのは王弟だった。
「お前さえいなければ、私が王になれたのだ」
 女王に、皇女に不満をせつせつと説いている。満身創痍のオレよりも疲労に満ちた表情には、もはや憎悪と悲しみしか残されていない。
 悲しみ? 憎悪だけじゃなく?
「いや、そんなことはどうでもいい」
 頭をふると、シャハリヤールはお嬢を見据えて言った。
「私がどれだけ苦労してきたかわかるか。この国に生まれたというだけで、ないがしろにされていたのだ。いくら能力に長けていても男児では使い物にならぬと。くだらぬ言い伝えのせいで」
 カトシアという国は王家の力を用いて治められている。その力を扱えるのは王家の直系の女性のみ。したがって、男児に王位継承権はない。
 後になって、お嬢から聞いた。
「皇女が生まれた後もずっと我慢していた。いつかは王の、せめて姉上の補佐ができればよいと。いつかは認めてもらえると」
 実力があっても認められないというのは人として辛いことなのかもしれない。それは女王の夫にとっても同じことで。
『寂しかったのかそれ以外の何かからだったのか。気を紛らわすために片方は女達と戯れ、結果わたくしが生まれた』
 詳しいことはわからない。だけど、それが元でシェーラが生まれたのだとしたらやりきれない。けれども、個人の感情で周りを傷つけていいはずがない。
 王弟の独白は続く。
「それがなんだ。皇女が亡くなったかと思いきや素性のわからぬお前を引き連れ新しい皇女だと!? ふざけるのもいい加減にしろ」
 目は、完全に常人のそれから外れていた。オレだけじゃない。お嬢も、周りの兵士ですらも完全にひいている。
「私が王になる必要はない。お前さえ……いや、王家の血族さえ途絶えればそれでいい」
 黙しているのは女王のみ。
「こんな国、滅びてしまえばいい!」
 それが王弟の真実だった。
《ずいぶん手前勝手な理屈だな。本当にあの頃の空天使そのものだ》
 頭の中で聞こえる声は、あえて黙殺した。
 何も考えたくない。
 もう少しだけ、このままで。
「母上」
 沈黙をやぶったのはシェーラだった。
「母上は本当にわたくしを娘として育てようとお考えだったのですか」
「無論です」
「母上は王として幸せでしたか?」
「無論です」
 親子とは思えないやりとりは時間がたっても相変わらずだった。問答が続いた後、お嬢は厳かに告げた。
「嘘だ」
「嘘ではない」
「母上は悔いている。姉上を、自分の娘を見捨てたことを。本当は、母上は女王になどなりたくなかったはずだ」
「黙りなさい!」
 初めて耳にした女王の叱責。今までは静かな視線をおくるか唇をひきむすぶだけだったのに。反して、シェーラはひどく冷静だった。
「事実を突きつけられた時ほど人は動揺するものです」
 それは、前にオレに向かって放たれた言葉そのものだった。
『事実を突きつけられた時ほど人は反抗するものだ』
 夏休みに姉貴との関係を突きつけられて、結局は言い返せなかった。
 本当にそうだ。自覚があるからこそないがしろにできず、認めたくないからこそ反発してしまう。
「母上はわたくしを憎んでいる。わたくしが父上の――母上の愛する者の不義の子だから。
 女王の辛さは母上が一番理解しているはずだ。だから、姉上を手放したのでしょう? 大切なものを傷つけられたくなかったから、わたくしを王家によこしたのでしょう?」
『わたくしの人生と引き換えに』言葉を閉じたシェーラに、周りは声をかけることができなかった。
 偉い人っていうのは、実はとんでもなく面倒なものかもしれない。
 この一件を目にしてつくづく思う。少なくとも女王やお嬢が幸せだとは思えない。勝手に決めつけるなって言われるかもしれない。けれど、前者よりもしがらみの方が明らかに多そうだ。
 首を向けると、隣には厳しい顔つきの公女様がいた。胸に両手をあて兵士達と同様、食い入るように成り行きを見守っている。考えてみれば、こいつもお姫様だもんな。何か思い当たるものがあったのかもしれない。
 そう考えると自然と胸にこみあげるものを感じた。だからって何かをしたいわけじゃないし、できるはずもないけど。
「叔父上。わたくしは王になるつもりはありません」
「許しません。あなたは――」
 女王が制止する前に翡翠の瞳を向ける。
「わたくしは王家とは縁をきる」
 その瞳は強い決意にいろどられたもので。
 静かに言い放つとシェーラはオレの方に向き直った。しっかりとした足取りでオレの方に近づくと、ふいに腰をおろす。
「怪我はいいのか」
「なんとか」
「『人間、腹をくくればある程度のことはできる』だったな『笑っていれば、そのうちなんとかなるかもしれない』とも」
「あ、うん」
 確かに言ったような気がする。ここに来る前にだけど。
 お嬢の意図を考えあぐねていると、ふいに肩をたたかれた。
「これを借りるぞ」
 手にしたのは風の短剣。
 反論する間もなかった。刃先を首筋に当てると、そのまま力まかせに引っぱる。
「わたくし、シェーラザードは王位を永久に放棄する!」
 髪を宙に放ち声高らかに告げる様は、王家としての威厳に満ちていて。けれども、初めて会った時の少女のような面影は微塵も感じさせない。
 王家? 違う。これが本来の姿なのだろう。短くなった金色の髪は輝いていて。翡翠の瞳からは、これまでの憂いが綺麗に拭い去られている。
「これであなたの思うがままになった」
 周りはみんな呆けていた。あのシャハリヤールでさえも。
「どうするかはあなたの自由です。わたくしは金輪際、この場に足を踏み入れることはないでしょう」
 それだけ言うと踵を返す。
「エルミージャがどうなってもいいのか」
 やっとのことで放たれた声も、今のシェーラには何の意味ももたない。
「これから助けます。それに、今となっては軟禁する意味はないはず」
 本当にそうだった。本人に継続の意思がない上に大勢の前で公表している以上、この話は無効となる。そもそも、男が皇女のふりをすること自体に無理があったんだ。遅かれ早かれ事態はさけられなかったんだろう。
「おい……」
「行くぞ」
 声はかけれなかった。かける必要もなかった。
 シェーラの顔は今まで見た中で一番晴れ晴れとしていた。そーだよな。こいつ、なんだかんだ言ってオレと同じ男だもんな。しがらみを解き放った奴にかける言葉なんて、今更必要ないんだろう。
「シェーラよ」
 声をかけられたのは一行が広間を出る直前だった。
「そなたの姉は生きています」
 小声で、オレ達にしか聞こえないような声で。それは、お嬢が一番知りたがっていた事実。
「会いに行くかは自由。後のことはしりません」
 交差するのは翡翠の瞳。一方は愕然とした面持ちで、一方は毅然とした面持ちで。
 なるほど。王族っていうのは確かにやっかいなものだ。
「母上」
「早く行け」
 それ以上は無用だとばかりに顔をそむける。背中が震えているように見えるのは気のせいだろうか。
 本当。偉い奴ってやっかいだ。
「……どうかお元気で」
 深く頭を下げると、シェーラは再び歩みを進める。
 そこにはもう、偽りの皇女の姿はなかった。
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