第九章「沙城にて(後編)」
No,3 理由
「もう一度聞くよ。ゼガリアはどこ?」
広間内に響く足音。こんなにも大きく重いものに聞こえるのはどうしてだろう。
「一緒にいたはずだよね。『待ってるよ』って言ったんだから」
「それは……」
わかっていた。
気づきたくなかっただけ。あえて考えないふりをしてただけ。
神官と暗殺者の対決は相打ちに終わった。共に瀕死の重傷で、片方は一命をとりとめた――かもしれない。それだってわからない。オレ自身、何が起こったかわからなかったし死なせないようにするのが精一杯だったから。
治療をしたアルベルトですらどうなるかわからないんだ。何もしないまま放置された暗殺者の行く末は。
「茶番は後回しにしろ。天使を回収する方が先だ」
「邪魔するつもりはないよ。用件が終わればね」
王弟の制止にもセイルはとりあおうとはしなかった。取り囲んでいた兵士が近づいても薄い笑みを浮かべるのみ。
「無礼者! 殿下にたてつくつもりか!」
「暗殺者を敵にまわさないほうがいいよ。特に今のぼくはね」
陽気な笑みで。けれどもかもし出す雰囲気が明らかに違う。尋常でないことがわかったんだろう。兵士はおろか誰一人、若い暗殺者に近づこうとはしなかった。縮まるのはオレ達との距離のみ。
しばらくすると兵士の一人がいらただしげに言い放つ。
「広間に男の死体があった。これで満足か」
一方、オレの方は平静でいられるはずもなく。事実に足元がぐらつくのを感じた。
重症の男を放置していれば当然死に近づく。頭ではわかっていたはずなのに、それをオレは放置していた。
仕方なかった。アルベルトを助けるのに必死だった。たくさんの言い訳が頭をよぎっては消えていく。でも事実は変わらない。
オレはゼガリアを、一人の人間を――見捨てた。見殺しにした。
「それはどうも」
重い事実にも暗殺者は片手を上げるのみ。表情も全く変わらなかった。
それでもわかる。セイルは怒っている。いや、怒ってるなんてなまやさしいものじゃない。静かに、深く――
敵に囲まれた状況でオレができることと言えば一つだけ。
「人は、なぜ時を紡ぐ。人はなぜ未来を望む。
我は時の輪を砕くため、三人の使者に幸福をもたらすため、時の鎖を」
「逃げるの?」
セイルの声に詠唱が止まる。
なりふりなんかかまってられない。みんなを連れてここから脱出する。それが最良の選択だ。
わかっているのに足が止まってしまうのはなぜだろう。
「英雄って知ってる?」
それは静かで優しい声色だった。
「よくあるだろ。子どもにとっての憧れ的な存在。ぼくにとってそれが、ゼガリアだった」
まるで子どもに昔話を聞かせるかのような。
冷静になれ。今のオレには周りを気にする余裕なんかないはずだ。
「ぼくにとっては育ての親みたいな奴だったんだ。人殺しなんかしないほうがいいし、やりたい奴の気がしれない。それでもぼくは彼についていった。あいつに着いていきたかったから。
馬鹿にしてくれてもかわまないよ。ぼくにとってあいつは、なくてはならない大切な人だった」
冷静になれ。大沢昇。
「神官はどこにいる?」
冷静になるんだ。冷静に――
「聞いてどうするんだ」
なれるはずがなかった。
「きまってるでしょ」
「アルベルトのことだったら教えられない」
誰に言われたわけでもない。
気がつくと、まるで暗殺者の行く手を阻むように一人立っていた。
「じゃあそこを通してよ。他の奴に聞くから」
「それもできない」
堅い声で行く手をさえぎる。そもそもあいつは地球にいるし、ここにいたとしても教えられるはずがない。
「敵討ちでもするつもりか? そんなことしたって」
「生き返らないのは知ってるよ。でもそれじゃあ、ぼくの気がおさまらない。君がどうにかしてくれるのかい?」
できるはずがない。あやまったところでどうにかなる問題じゃないし逆効果だ。それに変な話だけどセイルの気持ちがわかるような気がしたから。
敵をうったところで死んだ人は生き返らない。どんなに嘆いても叫んでも、一度失われた大切なものはこの手にもどってくることはない。それを知ったのはいつの日だったんだろう。そう近くも遠くもない日だったはずだ。
理屈ではわかっていても、どうにもならないことがある。それが理由。オレとセイルをここに立たせている理由(わけ)。
黙したままでいると、暗殺者はおどけたように肩をすくめた。
「なんなら神様にお願いでもしてみなよ。『おお神よ、この哀れな者をお救いください』って。案外うまくいくかもよ?」
「そんなんじゃねえ!」
即答だった。
「そんな奴……いるわけがないんだ。いたら、とっくの昔にオレが」
そうだよ。そんな奴がいたら、とっくの昔にオレがどうにかしてる。
問い詰めて、殴りかかって怒号して。
それが理由。オレが神様や運命ってやつを信じられない理由。
「……なんだよ」
目の前の奴は少しだけ目を細めて言った。
「君、今の顔鏡で見てみなよ。すごいことになってるから」
状況が状況だけに、その一言は胸をゆさぶった。
自覚は――あった。自分がどんな人間かってことくらい、自分でわかっている。それでも認めたくはなかった。認めたら最後の一線がくずれてしまうから。
よっぽどひどかったんだろう。語調をやわらげるとセイルは言葉を重ねる。
「前に言ったこと訂正するよ。君は手負いなんて生やさしいものじゃない。
君の方が、神官よりもよっぽどぼくに近いものを持っている」
「そんなこと――」
あるわけがない。
わかってる。
言いたかったのはどっちだろう。否定したかったのか肯定したかったのか。
「どちらにしても、結局ぼく達は平行線なんだ。このままじゃ埒(らち)があかない。
……剣を構えなよ。決着をつけよう」
そう言ったセイルの顔は、今まで見てきた中で一番、真剣な、それでいて悲しげな――優しげな顔をしていた。
「と言うわけでお偉いさん、少しだけ待っててくれない? ちゃんと仕事はするから」
陽気な声に人懐っこい笑顔。暗殺者の決意が感じ取れたんだろう。大勢いるにもかかわらず周囲は誰も口を挟まなかった。
オレ達の方も、誰もしゃべらなかった。いや、しゃべれなかったと言ったほうが正しいんだろう。
「君はどうする? 別れの挨拶でも交わしとくかい」
「……少し時間をくれないか。逃げようとはしないから」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
(スカイア、いる?)
《はーい♪》
(スカイア、オレの言うことってできる?)
《それって前にも言いましたよねぇ。ノボルは無茶しすぎです》
(これって無茶になんの?)
《この状況でこんなこと言うんですから無茶に決まってます》
(おまけに憎まれ役だもんな)
《わかってるならそんなこと言わないでくださいよー》
(お前にしかできないことなんだ。頼む)
《……本当に、ノボルって無茶しすぎです》
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「こーいうことになったから、後は頼むな」
おどけて言うと、残された三人は神妙な顔つきをしていた。無理もないか。敵に囲まれて、なおかつ決闘ざたときたんだから。
「お前は、それでいいのだな?」
「いいもなにも、あーいう状況だしな」
シェーラは苦虫をかみくだいたような表情をすると『勝手にしろ』とだけつぶやいた。こーいう時、男同士って助かる。
「大沢」
「本気でピンチだからな。もしもの時はみんなを連れてもどってくれ」
「……らしくないっしょ」
「だな」
笑って答えると、諸羽(もろは)は苦笑した。なんだかんだいって、こいつにも色々と助けられてきた。ここは素直に感謝しよう。
「だからさ、頼まれてくれないか」
言いたいことが伝わったんだろう。二人は一つうなずくとオレから距離をとる。
一人を除いて。
「お前も早く離れるんだ。巻き込まれてもしらないぞ?」
「嫌よ!」
即答したのは公女様だった。
「あなたがかなうわけないじゃない! 今だってどうなるかわかんないのよ?」
アルベルトの二の舞になることを恐れたんだろう。シェリアはここぞとばかりに罵詈雑言を言ってのけた。
「あなたが行ったところで先が見えてるわ。騎士って言っても体のいい雑用係じゃない。そりゃあ少しは鍛えたかもしれないけど、家事技能の方が明らかに数倍磨きがかかってるし。
剣ふりまわすより包丁扱いのうまい男の子が、一体どうやって戦うのよ!」
本気でひどい言い草だ。けど、こいつの言ってることが正しい。
わかってるはずなのに。
「聞いてるの!」
なんでだろう。言葉とは別のものが感じ取れるのは。
「あなた、本当にめちゃくちゃ弱いのよ? 絶対負けるに決まってるじゃない!」
優しくて、温かくて。涙が出そうなほど心にしみて。
怒鳴り声にはとりあわず、服の中から緑色の短剣を取り出す。目をつぶって心の中で名前を呼んで。現れたのは緑色の少女だった。
「……スカイア?」
「ちゃんと覚えてたんだな」
言うと同時に片手を放る。頭上に投げ出されたものを視界にとめると、風の精霊は瞬時に姿を消した。
「前にさ、『旅が終わってもずっと友達でいてね』って言ってたよな。あれ、けっこう嬉しかった」
周囲を緑色の霧が包む。
「お前ってさ。全っ然お姫様らしくないよな」
包まれてるのはオレとシェリアの二人だけ。それは淡くて優しい光。
「まりいと同じ顔なのに、やることなすこと正反対でさ」
「しかたないじゃない。アタシはアタシだもの」
口をとがらせる公女に目を細める。そうだ。こいつは姉貴と全然違う。そう気づいたのはいつからだったんだろう。
「オレよか全然生活力あってアルベルトと一緒に人のこと言いたい放題で」
気づいてもなお、想いが強くなっていったのはいつからだったんだろう。
「時々素直で、すごいこと平気で言ってのけて。そういうところに救われてたんだと思う」
気づいたのは二つの事実。
「旅、終わっちゃったな」
オレはシェリアのことが。
「変なこと言ってないで――」
言い終わる前に早く。彼女の体を抱きしめる。
もしかしたら女子にこんなことしたのってはじめてかもな。そんなことを考える。
事故でなら何度かあった。でも今回は違う。こうしたかったのはオレの意思。自分の意思でオレは目の前の存在を抱きしめている。
「――――」
耳元でささやくと公女は体を強張らせた。
「あなた……っ!」
それが最後の言葉。
二、三度瞬きをした後、公女様はゆっくりと瞳を閉ざした。
「……ごめん」
声はきっと届かない。
それでいい。こうすることが一番なんだ。
「後、頼むな」
公女様を床に横たえると残りの二人に頭を下げる。
わかってる。ここから先は、オレの戦い。