EVER GREEN

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第九章「沙城にて(後編)」

No,11 エピローグ(前編)〜それから

 昇がいなくなって五日が過ぎた。
 たった五日。でも五日で。
 窓を開けると、外には雪がつもっていた。そういえば、雪を直接見たのも、この世界に来てからだった。
 『雪』って言葉ならアタシにもわかる。でも触ったり見たのはこれが初めてで。アタシの故郷にはなかったから。真っ白で手のひらにのせればすぐに溶けてしまう冷たいもの。触るのなんか生まれて初めてで、冷たいって言ったら『そりゃそーだろ。雪なんだから』って笑ってた。
 地球では今日が『オオミソカ』っていう日になるみたい。一年のしめくくり。それが終わると『オショウガツ』があって、新しい一年が始まる。これも彼が教えてくれた。

 でも、教えてくれた人はもういない。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「オレ、どんなふうに見える?」
 泣き出しそうな笑顔で呼びかけられた時、胸がしめつけられそうになった。それくらい、目の前の男の子は痛々しかったから。
 空色の髪と瞳に白い翼。初めて見たのはセイルに捕まった時。アルベルトを助けたくて昇に無理矢理ついていって。彼にできることがアタシにできないはずがない。それくらい、あの時は強気だった。でも、結局はセイルに捕まってしまって。足手まといにしかならない自分が情けなくて。昇がいなかったらずっと泣いてたと思う。……ないしょだけど。
 セイルに捕まっただけでも大変だったのに、今度は身の危険にさらされて。あの時は本当に怖かった。旅をする以上、危険はつきものだってことくらいわかってたはずだった。術が使えても、アタシは女で。力ずくで襲われたらひとたまりもないってことくらい、わかってたはずなのに。みじめで悔しくもあったけど、それ以上に怖かった。
 抵抗したいのに体がままならなくて。望まないものに体を支配される恐怖。そんな恐怖から救ってくれたのは昇で。でも、別の恐怖を植えつけたのも昇だった。
 光の後に現れたのは空を模した天使。昇には言ってないけど、この姿を見たのは初めてじゃない。
 翼をもった神様の御使い。人々に幸せをもたらしてくれる存在。アタシの世界での『天使』にまつわる言い伝えはこうだった。シーナにも聞いたけど、この認識は地球でもあまり変わらないみたい。でも現実は、おとぎばなしと大きくかけ離れていた。
 初めて見た天使はアタシと同じ女の子。あの時はアルベルトとショウと一緒で。シーナを連れ去ろうとやってきたんだった。空の瞳は透き通っていたけど、まるでガラス玉のように冷たくて。見つめられた時、恐怖もだけど、なぜか哀しさを感じた。人に近い姿をしているはずなのに、瞳には何の感情もなくて。アタシに攻撃をした時もそうだけど、シーナに告げる様は、まるで人形のようだった。
 大勢の男の人から守ってくれたのは、アタシの知ってる男の子を模した天使様。
 ううん、違う。天使の姿をした、昇――だった。
「大沢昇、でしょ?」
 日本語で、昇の世界の母国語での発音は我ながら上手くできたと思う。本当は逃げ出したかった。あの時の彼は昇であって昇じゃなかったから。だけど、できなかった。
 どうしてそんな顔するの? あなた、自分がどんな顔してるかわかってる?
『純粋でまっすぐな心を持った、それでいて深い傷を負った子供』ずっと前に、アルベルトは彼をこう言っていた。それは決して間違いじゃなかった。
 昇が天使――あの女の子と同じ、冷たくて哀しい瞳をした生き物であることが怖くて。怖いけど、ほっとけなくて。泣きそうな後姿に寄り添うことしかできなかった。
 元にもどったとき、心の底からほっとした。同時に、アタシがしっかりしなきゃとも思った。
 泣きたいのを無理して、笑顔でおおい隠そうとする子ども。時々、昇はそんな表情をする。そしてそれは、彼に、アルベルトに似ている。
 いつもはこれでもかってくらい情けなくて。同世代の男の子ならショウだってシェーラだっている。色々な部分を足してひいき目に見たとしても、昇はカッコいいとは思えない。だけど、彼には他の人にはない長所がある。
 どんな時でも『なんとかなるさ』で切りぬけて。アルベルトにこき使われたり女装させられたり失恋した時も、本当の意味で投げ出したことは一度もない。
 ――今回を除いては。
「旅、終わっちゃったな」
 カトシアのお城で敵兵に囲まれて。はじめは何を言われているのかわからなかった。でも、気がついたら彼の腕の中にいて。自慢じゃないけど男の子に抱きしめられたのって生まれて初めてだったからドキドキした。
 初めて? ううん、違う。一度だけあった。もっとも彼にとっては他の人としてだろうけど。考えてみれば、あれが昇を意識しだしたきっかけかもしれない。
 夏祭りの日に地球でシェーラと昇と三人で覗き見して。シーナとショウはいい雰囲気だったけど、昇はそうじゃなかったみたい。
 シーナとショウのことは知ってたけど、昇のことは全く気にしてなかった。だから、彼が怒ったときは驚いたし反省した。確かにシーナってアタシから見ても素敵だもの。ましてや姉弟ならずっとそばにいるってことだし、気にならないはずがない。
 だけど、自分から直接謝る勇気がなかったから少しだけ細工して。それで――
「……大切でしたってなによ」
 耳元でささやかれた言葉を唇にのせる。
 緑色の霧。今考えれてみれば、スカイアのせいだったんだろう。霧雨のようなそれは、周りを敵に囲まれてるってことを忘れてしまうくらい幻想的だった。
 そんな時にあのセリフ。
『君のことが大切でした』
 あいまいで、しかも過去形で。どうとらえればいいのか全くわからない。
 眠り薬――エルミージャさんが後で教えてくれた――のおかげで、すぐに意識を失ったけど、あの時の声と顔は覚えている。
 お願いだから、そんな顔しないで。
 哀しみと切なさと決意と。そんなもの一緒にしなくてもいいじゃない。
 まどろみの中で聞いたのは男の子の叫び声。誰かに向かってというよりも、まるで自分自身に言い聞かせてるようだった。人には二面性があるって言うけれど、それが彼のもう一つの顔だとしたら、とても哀しすぎる。
 目が覚めたとき、一番はじめに見たものは矢に貫かれた男の子の姿。傷口は小さいのに、あることのない場所に傷をおっていて。それが少し前に倒れたアルベルトと重なって見えて。気がついたら悲鳴をあげていた。
 どうして? どうしてあなたがそんな目に遭うの!? あなたはそんなものとは無縁の人じゃない。鼻歌を歌いながら楽しそうに料理をする人が、どうして血まみれで矢に貫かれているの!?
 心臓をわしづかみにされる。そんな言葉がぴったりだった。
「やめて! もうやめて!」
 気がついたら涙が出ていた。仕方ないじゃない。今まで一緒にいた男の子が大変な目にあってるんだもの。何も思わない方がおかしい。お願い。だれか彼を助けて! そう願わずにはいられなくて。後から後から新しい涙であふれていた。
 願いは半分だけ聞きいれられた。それも、アタシが最も恐れていた形で。
 かすんだ視界に映ったのは、光と翼を持った男の子。
「昇なんでしょ?」
 傷は、あっという間にふさがった。だけど、体の自由と引き換えに失われたものは、彼自身の感情だった。
「汝(なんじ)の世界には、このような姿をした人間がいるのか」
 冷たい髪と瞳は空の色で。
「空の色に翼を持つ人間がいるのかと聞いている」
 翼だって全然違うし、そもそも彼にそんなものはなかった。当たり前じゃない。彼はれっきとした人間だもの。
 黒髪に黒目。背は他の男の子達よりも少し高くてやせてるけど、ただそれだけ。同じ色でも、昔話に謳われた英雄とは似ても似つかない。
 漆黒ではない黒の瞳はたくさんのものに彩られていて。わめいて叫んで時には泣いて。でも最後は仕方がないかって感じで笑ってる。
 だけど、視界に映る彼は今までの彼とまるで正反対で。
「我は天使。神の娘に遣えし者」
 淡々と告げる声には何の感情も含まれていない。
 空の瞳はガラス玉のように冷たくて。
 でも、彼は正真正銘、昇――だった。
 それは前に見た女の子そのもので。無表情で人を傷つけて、あまつさえ命を奪おうとしている。必死になって止めようとしたけど逆ににらみつけられて。

 だから、彼が来てくれた時は驚いた反面ほっとした。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 ドアを開けると、そこには彼がいた。
 ベッドから半分だけ体を起こして本を読んでいる。腕と頭には包帯が巻かれている。パジャマを着て見えないけど、服を脱げば、中はさらにたくさんの包帯に覆われているだろう。それでも体を起こせる程度には回復していた。
 そう。彼は生きている。
 昇の願いは叶った。
 アタシの兄を、昇にとっては師匠となる人を助けること。それが願い。付け加えるなら、もう一つの願いも叶った。
「お願い。本当のことを教えて」
 頭を下げると、彼は本に視線をたずさえたまま、微笑を浮かべた。
「それは公女としての命令ですか?」
「アタシとして、シェリアとしてのお願いです」
 いつもと同じ笑顔。やわらかくて優しくて。だけど、決して人を近づけさせまいとするもの。
 彼がこんな表情をアタシにすることは珍しい、と思う。他の人にはわからないけど、アタシにはそんなこと一度もなかったから。でも、裏を返せばそれだけ知られたくないことがあるということ。だったら、アタシにできることは一つしかない。
 深く息を吸うと、彼に向かって再び頭を下げる。
「お願いします。本当のことを教えて――アルベルト」
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