第三章「海の惑星『霧海(ムカイ)』」
No,4 姉上と公女様
椎名。本名は大沢まりい。オレの義理の姉。
焦げ茶色の髪に明るい茶色の瞳。どちらかと言うと、おとなしいほうで、なんだかんだ言って……可愛い。
その椎名が目の前にいる。
「何よー。アタシの顔に何かついてる?」
椎名が――シェリアが、不思議そうな顔をする。
「…………」
「……ノボル?」
椎名と同じ、明るい茶色の瞳がオレを見つめている。
「ああ、そっか。アタシがあんまり綺麗だから見とれちゃったんでしょ?」
「……髪型が変わっただけで、どこをどう見とれればいーんだよ」
そう言い返すのがやっとだった。どうやら思った以上に動揺していたらしい。
「うそうそ。わかってる。そっくりなんでしょ? シーナに」
よくよく考えてみれば確かに似ていると思うことはあった。
暗殺者に襲われて、深い眠りについたあの日。二人とも、明るい茶色の瞳でオレを心配そうにのぞいていた。
「ホントに似てるでしょ。アタシもビックリしたわ。自分と同じ顔が目の前にあるんだもの」
本人はそう言ってケラケラ笑っていた。
ちなみにヅラは強制的に却下した。ここが空都(クート)ならいざしらず、霧海(ムカイ)でやっても変装の意味がない。
「なんで脱いじゃうのよ。せっかく似合ってたのに」
シェリアが不満そうに頬を膨らます。
「リドックにはまだ時間がかかるんだろ? いつまでもこんな格好しててたまるか」
彼女の顔を見ないようにしながら元の服に着替える。
実際、リドックへ行くにはまだ時間があった。よくよくカリンさんから話を聞くと、女装をしなきゃならないのはリドックの一つ前の街だけなんだそうだ。
あ、そーだ。
「はい。これ」
着替えがすむと、スポーツバックの中から小さな袋を取り出す。
「前言ってたろ? おみやげ」
「覚えててくれたんだ……」
「うん、まあ」
まさか忘れていたのをシェーラが思い出させてくれたとは言えないけど。
袋の中から出てきたのは青いバレッタ。
本当は、シェーラと二人で街で買っておいたものを渡すつもりだったけど。あの後捕まったから持ち出すことは出来なかった。
でも今度はちゃんと自分で買ってきた。約束は守らないといけないよな。うん。
「シェリア?」
返事はない。
「おーい……」
再び声をかけようとすると、はっとしたようにこっちを見た。
「……嬉しい」
「…………」
意外だった。
てっきり『やっと思い出したのー?』って、いつもの調子で言われると思ってた。それが、こんな嬉しそうな表情するなんて。
「ありがとう。大切にするね」
そう言って笑った彼女の顔が、妙に印象的だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『ありがとう』
まさか、こう素直に喜ばれるとは思っても見なかった。
「…………」
あらかじめカリンさんがとってくれていた霧海(ムカイ)の宿のベッドの上に横になる。
「ノボル」
干草の上に布をかぶせただけの質素なベッド。でも考え事をするにはちょうどいい。
……あいつも、可愛いとこあったんだな。
「ノボル」
確かに公女様とはいえ女の子だもんな。
「ノボル!」
「わっ! ……なんだよ」
目の前にいたのはお嬢だった。
「さっきから声をかけていたではないか」
「……そうだっけ?」
驚きが声に含まれないよう、つとめて平静を装う。てっきりオレの考えてることを見透かされたかと思った。
「で? 何か用?」
「『シーナ』とやらはそんなにシェリアと似ているのか?」
「……なんだ、そのことか」
「?」
シェーラが眉をひそめる。
うーん。
「確かに目の色は同じだけど、パッと見は全然違う。性格も違うし。でも、さっきのシェリアを見た時は驚いた」
本当に驚いた。あそこまで似ているとは思わなかった。見た目は全然違う――はずなのに。
「シーナはお前の何なのだ?」
「何って……。オレの義理の姉貴だよ」
そう言えば、こいつ椎名のこと知らないんだよな。
「姉上か。その者はシェリア同様に口うるさいのか?」
「別に口うるさくはないけど……。どちらかって言うとその逆だな。おっとりしてるっていうか……まあ、可愛いとは思うけど」
そう言うと、お嬢がとんでもないことを言い出した。
「お前はシーナが好きなのか?」
「…………」
「なんだ。その目は。言いたいことがあるのならはっきりと言え」
なんでそう考えが単純なんだ。
「言ったろ? 椎名はオレの姉貴だって」
「でも血は繋がっていないのだろう? なら問題ないではないか」
「そーいう問題じゃなくて……」
なんて言ったらいいのやら。決まり悪げに頭をかく。
「椎名のことは嫌いじゃないけど、なんつーか……。とにかく! そんなふうに考えたことないの!」
いくら『可愛いあの子が自分のお姉さまに』ってお約束な境遇になっても、『気がついたら好きになってました』って、それこそお約束なパターンになってたまるか。オレはそんなに安直な人間じゃない! ……多分。
「それは、これから先どうなるかわからないということだな?」
お嬢が意味ありげな視線を向ける。
「だから……」
「お前の姉上に一度会ってみたいものだな。シェリアと似ているのでは期待もできないが」
期待ってなんだよ。 お前は一体何を考えてるんだ。
「姉上か……」
しかも、なんか自分の世界に浸ってるし。
「お前って兄弟いないの?」
そう聞くと、お嬢は顔をオレのほうに向け寂しそうに笑った。
「姉上は……いるが……いない」
「なんだよそれ?」
「兄ならいる」
「何人?」
「…………」
「はいはい。わかった、もう聞きませんって」
両手をあげて降参する。すっかり忘れてた。こいつもわけありだったんだよな。
シェリアやアルベルトに本当のことを言う少し前、シェーラはオレに自分が男だと言うことを打ち明けた。
『なんで服を返すなり普通の格好しようとしなかったんだよ? 確かにオレはアンタのことを女だと思ってたけど、事実がわかった以上、それってどう考えても無理があるぞ?』
極悪人がオレにしたのと全く同じ疑問を目の前の奴にぶつけた。
『今は何もいえない。……時がくれば話す』
返ってきた返事はこうだった。どうひいき目に見ても、普通の十四歳の男が言うセリフじゃない。
『このことはすぐに表ざたになるだろう。……わたくしはどうすればいい?』
色々と考えた挙句、しばらくはそのまま女で通そうということになった。結局すぐにバレたから意味はなかったけど。なんだかなー。
「ノボル、シェーラ、いるー?」
明るい声と共に公女様が部屋に入ってきた。
「あれ? カリンさんと一緒じゃなかったっけ?」
確かカリンさんがシェリアの部屋の護衛をするって言ってたのに(……ここって治安悪いのか?)。
「だって言葉が通じないもの。確かにいい人なんだけどね」
確かに。いくらいい人でも言葉が通じなけりゃろくに会話もできない。文化の違いってややこしーな(そーいう問題でもないか)。
「そういうわけで、今日はここにいさせてね」
そのままベッドにちょこんと座る。
「って、もう夜なんですけど」
ってことは……。
「今日だけよ。いいでしょ?」
ってことは……!?
「ダメ! ダメだって!!」
「なによー。アタシがいたら迷惑なの?」
そう言って頬をふくらます。
「そーいう問題じゃなくって……」
それって……ってことだろ?
「別によいのではないか?」
「お前はこっちに来い!」
お嬢の手を引っ張って部屋の片隅に座る。シェリアが視界から消えたことを確認すると、小声で話を始めた。
(お前、ちゃんと意味がわかってるのか?)
(シェリアが一晩この部屋にいるだけのことだろう?)
(それがダメだって言ってるだろ!)
(構わないではないか。三人なのだから)
(あ、そっか……)
って……。
(やっぱダメ! あと少ししたらオレむこう(地球)に帰るんだぞ!?)
これもやっぱり小声。
(お前……まさか、わたくしが変なことをするとでも思っているのか?)
翡翠(ひすい)色の目が、すっと細くなる。
(だってお前、そんなナリしてても男だろ)
「わたくしを侮辱する気か!」
「わーっ! 声がでかい!」
「わたくしは貴様とは違うのだ! 不埒な言動を慎め!」
そのあと腹に強烈な一撃をあてられた。
「彼女には間違っても貴様の思っているようなことはしない。第一、一晩起きていればいいだけの話だろう?」
冷たくそう言い捨てると、シェリアを手招きする。
そこでタイミングよく腕時計のアラームが鳴り、いつものごとく睡魔が襲ってきた。
「ノボルは疲れているようだ。この部屋をどう使うかはわたくしに任せると言っていた」
意識はもうろうとしていたのにもかかわらず、ここだけははっきりと聞こえた。このヤロー、いけしゃあしゃあと。
「ねえシェーラ。アタシ前から思ってたんだけど……」
シェリアのつぶやきを遠くに聞きながら、いつものごとく、オレは眠りにつくことになった。
ちっくしょー。あとで絶対覚えてろよ!