EVER GREEN

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第十一章「未熟もの達へ」

No,14 君は強い

『あの子が言ったこと、もしかしたら自分自身のことを指していたのかもね。彼女もあなたもまだまだ未熟だもの。自分のことを把握しきれてないのよ』
 母さんと別れて、そこからはひたすら歩いた。右も左もわからない。来た時と同様、ただ真っ白な世界だったから。歩いて歩いて歩きまくって。やっとのことでたどりついた場所には先客がいた。
 そいつは真っ白な服を着ていた。膝丈のワンピース。茶色の長い髪はうずくまっているため肩に降りそそがれている。俺が近づくと、そいつは蒼の瞳を俺に向けた。
「なぜ汝(なんじ)がここにいる」
 男にしてはややかん高く、女にしてはやや低めの声。母さんが言ってたことは正しかった。
『外見にまどわされてはいけません。霧海(ムカイ)の住人でさえ軽く百年は歳をとっているのですから』
 アルベルトが指摘したことも間違っちゃいないんだろう。つまりは二人とも正しくもあり間違ってるということで。イールズオーヴァ。世界を身に宿す神に寄り添いし者。そいつは大人であり、同時に。
「アンタさ。本当は臆病だよな」
 断定形で間合いを詰めると、そいつは表情を変えないまま否定した。
「そのようなことはない」
「『時の城』っていう居心地のいい家にいて、寂しいから『時の管理人』って奴を呼んで。なんでもできるはずなのに、アンタ自身はそこから一歩も出て行こうとしない」
「われを愚弄するつもりか」
「そんなつもりないけど。事実を言っただけだし」
 事実を突きつけられた時ほど人は反論する。前に誰かが言ってたけど、それは人意外の者でも同じらしい。続けて問いかけるとそいつは初めて柳眉をたてた。
「アンタ、ホントは怖いんだろ」
「われは恐怖などしておらぬ!」
「じゃあなんで! なんでここから出ようとしないんだ!」
 怒号には怒号を。大声をあげると目の前の神様は口を閉ざす。うつむく様は怒られた子どものそれで。震える肩は泣き出しそうな子どものそれで。神様ってからには相当長生きしてるんだろう。数百歳、もしかしたら千年以上の年寄りかもしれない。それでも目の前にいるそいつは、子ども以外のなにものでもなかった。
 長い沈黙の後、イールズオーヴァは消え入るような声でつぶやいた。
「神がそのようなことを思っていいものか」
「思ってもいいじゃなくて。ホントは怖いんだろ?」
 さっきとは違う静かな声で語りかけると、神様は唇を引き結んだ。
「外をみることが怖い。出て行くことが怖いんだろ?」
 そこからは長い長い沈黙。
 再度の沈黙の後、漏れた声は。
「われは、物心つく前からここにいた」
 ちょっとでも気を抜けば消えいりそうな小さなもの。
「目の前にいたのは神だけだった。神がすべてを教えてくれた。それで充分だったのに、神はわれの前からいなくなってしまった。
 すべての時は、神や天使が御してくれた。故に、ここ以外の世界を知らぬ。与えられたものを、役目を果たせばよいのだ。それ以外に何がある」
 寂しがりやの子ども。アルベルトやリザ的に言えばそうなるんだろーな。もしくは器用貧乏ってやつ。なまじ何でもできるから動く必要もない。けれど子どもだから、とっさの場面で何をしていいのかわからない。
 子どもってことは、まだ小さい、未熟だってこと。もっともそういう俺だって充分未熟なんだろうけど。それでもやっていいことと悪いことはあるわけで。
「あのさ」
 顔を近づけて頭の上に手を置いて。
「人ってさ。めちゃくちゃバカで弱いよ。けど、お前が思ってるよりずっと図太いぜ?」
 ふいうちだったからか、神様はひどく驚いた顔で俺を見上げていた。
 リザの時と同じだった。『運命』とか『神様』ってやつは嫌いだけど『リザにいちゃん』は嫌いじゃない。嫌いになんか、なれるはずがない。
「もう一回訊く。イールズオーヴァの願いは何?」
 至近距離で目を合わせて。こんなふうに話しかける神様も、ましてやこんな態度をとる天使もそうはいないだろう。
 長い、長い。さらに長い沈黙の後、神様は声を落とした。
「神に逢いたい」
「じゃあ、逢いに行けばいーじゃん」
「神はわれを置いていなくなったのだ。時砂(トキサ)はわれを拒んで地上へ降り命を落とした。今さらわれが現れたところで何が変わるというのだ」
「嫌われるのが怖い?」
 直球で聞くと、イールズオーヴァはぱっと顔を赤らめる。やっぱりこいつ、子どもだ。長生きしてるかもしれないけど子どもだ。
 大切な人に気に入られたくて行動を起こす。それは五年前の俺もやったこと。けどやり方を、気持ちの伝え方を間違えればとんでもないことになる。
「まりいのお父さん……時砂(トキサ)だっけ? その人もリザにいちゃんも、お前のこと嫌ってないと思うぞ?」
 もっともアルベルトは別だけど。
 その一言は胸にとどめておいた。なんでもできるくせに妙なところで器が小さい。そういう意味では目の前の奴も師匠と同類かもしれない。
「神様って俺よりもずっと偉くてすごいんだろ? だったら俺にできることがお前にできないわけないじゃん」
 子どもに物事を教える父親。そんな図が頭に浮かぶ。俺、将来いい父親になれそうな気がする。いい兄ちゃんにもなれるだろう。たぶん。
 手の下で、イールズオーヴァが眉根をよせる。嫌そうな顔をしてるのには気づかないことにしておく。人間、子どもには大らかな心で対応するのが大事だ。
「……本当に嫌っていたらどうする」
「俺が謝る。ごめんって」
 今度は深々とため息をつかれた。なんだろう。この釈然としない気持ちは。相手が神様や子ども――女の子じゃなかったら絶対ぶちきれてたぞ。
 咳払いをして右手を差し出して。
「一緒に行こう。イールズオーヴァ」
 その様を、彼女はくいいるように見つめていた。信じるべきか拒絶すべきなのか決めかねている、そんな感じ。
 おずおずとためらいがちに、けれどもしっかりと。互いに手と手をとりあおうとしたその時。
「ずるいなぁ。それオレの台詞なのに」
「リザ!?」
 声は二人の背後からだった。
「『なんでここに』って野暮な質問はなしだよ。オレってアルよりも神出鬼没な奴だから」
 確かに。アルベルトの兄貴分って設定でもあるし。いや、それよりもこのタイミングで現れたってことは、俺達の今までのやりとり見てたんじゃないだろーな。
 そんな俺の胸中などいざ知らず。本物の神様はもう一人の神様に語りかけた。
「君はまだそこにいるのかい?」
 人懐っこい表情で、けれども言ってることはなかなかにキツイもので。実際そうだったんだろう。顔を上げていたイールズオーヴァはまたうつむいてしまった。対してリザは笑顔で相手の返事をずっと待っている。俺と神様が兄弟だとしたら、この二人は絶対父と子だ。
 急にいなくなってしまった父親、もしくは兄。それを必死に捜す子ども、もしくは妹。
「なぜわれを置いていなくなった」
「ちゃんと聞いたじゃないか。『一緒に来る?』って。でも君はそれを拒絶した」
「何もわからぬのだ! それを見ず知らずの場所へ連れていこうなど!」
 なるほど。よーくわかった。
 こいつはリザをずっと捜していたんだ。慕っていた者に急にいなくなられて。出て行くことは怖いから、力を使って他の奴らを支配する形でしたがえ、神を連れ戻そうとした。とにかくこいつなりに考えた必死の策だったんだろう。
 けれども。
「だからって、他の種族のさだめをねじまげることはないよね」
 まったくもっての正論に、イールズオーヴァはそれっきりしゃべらなかった。正確には何を話せばいいかわからなかったんだろう。赤い顔でうつむいて。唇をひきむすんで。それは親にしかられた子ども、そのものだった。
 視線を合わせぬまま時間が流れた後。
「しょうがないなぁ」
 近づいて、軽く抱きしめて。軽く肩をたたくと、神様はそのままくずれ落ちるように倒れた。
「何をしたの?」
「強制的に眠ってもらった」
『腐っても神様だからこれくらいの芸当はできる。前に、君にも同じことをしたんだよ』続けられた言葉にはぞっとしたけど、眠ったイールズオーヴァを抱きかかえたリザは、まるで我がままな妹をあやす兄そのものだった。
「本当はもっと遊びたかったんだけどな。放っておいたらまたかんしゃく起こすだろ。お前ってあれだね。別れ話を突きつけられた女だ」
 眠った神様に妙に生々しいことをさらりと言う様は、さすがアルベルトの『兄』をかたるだけはある。
「眠ったってどれくらい?」
「んー。ほんのひととき。人間に換算すれば君達の寿命の数倍?」
 さすが神様スケールが違う。妙なところで感心していると、本家の神様は苦笑しながら続けた。
「これで全てが終わったわけじゃない。けれど、とりあえずの苦労は去った。
 カイやシルビアの失われた時間はもどらない。だけど、これから先の時は自分で紡ぐことができる。そーいうことでいい? 旅人さん」
「へ!?」
「君のこと。アルが言ってなかった? 『時を紡ぐ旅人』って」
 確かに聞いた、ような気もする。頭をひねっていると、リザは人差し指をぴっと立てて続けた。
「時を紡ぐ――つまりは時をつなぐ、大げさに言えば人と人をつなぐってこと。旅人ってのは文字通り、いろんな場所を渡り歩く人。要約すれば『時と場所をつなぐ人』ってこと。
 時と場所を越えて、君はオレとカイ(神の娘)とアル(天使)をつなぎとめた。空(空都)と袂を別ったシーナ・アルテシア(まりい)を連れ戻し、さらにはこいつの暴走も止めてくれた」
 視線の先には気持ちよさそうに寝息をたてる子ども。それだけを見てたら、とてもじゃないけど神様だとは思えない。
「そいつさ」
「うん?」
 夢の中にいる神様を見て一つの考えが浮かぶ。
「自分と似てたから、俺を天使化させたのかも」
 本当にあてずっぽうだったけど。ふいにそう思えた。
 目の前にいるイールズオーヴァははたから見れば立派な子どもで。俺が初めて声を聞いたのは五年前――こいつと同じ、子どもの頃だった。もっとも親しい、もっとも近しいものに去られた苦しみ、痛み。当時の俺に、こいつは自分を重ねてみていたのかもしれない。
「一人で苦しかったから、話し相手がほしかったのかも」
 『天使』という名の友達が、『神の娘』という姉さんが。『神』という名の父親が、兄が、欲しかっただけなのかもしれない。
 子どもだったから。何も知らなかったから。そんなことで済まされないのはわかってる。けど、やり方さえ間違えなければこんな周り道をしなくてすんだんだろう。リザにいちゃんの話が本当なら、俺は二度とこいつと声を交わすことはできない。だったらもう少し話をちゃんと聞いてやればよかった。
 そんなことを考えていると、リザに真面目な顔を向けられた。
「ノボル」
「ん?」
「君は強いよ。君が思っているよりもずっとね」
 いつもだったら何の冗談だと笑って返したんだろう。けど目の前のにいちゃんの瞳は、声は。『神様』と呼ぶにふさわしい様をしていた。
「君の場合は『強さ』かな。
 アルは自分で強くなっていった。世界を手に入れるために。痛々しいくらいにひたすらに、がむしゃらに。言うなればそれは、攻めるための、切り拓くための強さ。
 君は弱い。その事実を知った上ですべてを乗り越えて自分のものにした。言うなればそれは、護るための、包み込むための強さ。
 どちらも同じ。だけど違うもの。だからこそ君は認めてもらいたかったんだろ? アルに――もう一人の自分に」
「うん」
 見た目も中身も全然違う。俺よりすごくてなんでもできて。だからこそ悔しくて、あこがれて。見返そうと、認めてもらおうとやっきになった。完璧だと思っていた男の弱さを理解した時、理想が崩れていく喪失感と妙な安堵感に包まれた。
『大人』とか『子ども』とか関係ない。結局はどう感じてどう生きていくか。そうした日々に、生きたぶんだけ年月が積み重なっていく。ただそれだけのことなんだろう。
「嫌っていたのは同属嫌悪かな」
「それって、裏を返せば俺がああなるかもしれないってこと?」
「アルみたいになるのがそんなに嫌?」
「嫌っつーか、その……」
「複雑な心境ってところか」
 そりゃそうだろう。認めはする。認めはするけど、あんな極悪人になるかもしれないとなると正直ぞっとする。
「それで。これからどーするんだ神様」
 雑念をふりはらうようにして疑問をぶつけると、リザはあっけらかんと答えた。
「んー。オレがしばらく面倒みといてやるよ。これでも元・管理人だからね。子守唄代わりにオレが今まで見たこと聞いたこと、色々話しといてやるよ。そしたら物事の判断くらいつくようになるだろ。
 幸いオレは長生きだからね。積もる話もたんとあるんだこれが」
「だったら、はじめからそーすりゃよかったじゃねーか」
「男はこれでも大変なんだぜ? いつの時代でも根源は種族間や男女の気持ちのすれ違い。だから、力(能力)があるなしはさほど関係ない。自分にとって近しい者が人かそれ以外の種族かってこと。
 君も大人になればわかるよ」
 単に女ったらしなだけじゃないのか。間違っても俺はそういう意味での大人にはなりたくない。現に手痛いしっぺ返しをくらってる人がここにいるし。そもそもアンタがふらっと出歩かなければこんなことにはならなかっただろ。
 その胸中は明かさないことにした。相手は仮にも神様だ。
「俺も、時々ここに来ていい?」
「もちろん」
 好奇心旺盛で寂しがりやで能天気な神様はいたずらっぽい笑みを浮かべて応えた。
「ノボル。アルとカイに伝言いいかい?」
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