第十一章「未熟もの達へ」
No,12 砕けたもの
イールズオーヴァとアルベルトが戦ってる隙に、海ねえちゃんを開放する。
これが俺の考えてた作戦だったし、正直これしか思い浮かばなかった。今までやってきたことを思えば許せるもんじゃないけど、俺にははりあうだけの力がなかったし第一そんな余裕もなかったから。
突きたてた剣の先を中心に、氷の棺(ひつぎ)にひびが入る。
けど、それだけ。力を込めてもひびは広がらないし、逆に抜いてみようとしても、一度刺さったものはなかなか抜けてくれない。
「だから言ったであろう。何をする気だと」
イールズオーヴァの声は聞かなかったことにする。
嘘だろ? こんな時におあずけかよ。これじゃ本気でいいとこないじゃん。
「所詮、天使が神にかなうはずなどないのだ」
イールズオーヴァの声は徹底的に無視する。
やるべきこと。これからやりたいこと。数えあげたらきりがないんだ。けど、やりたい。っつーか、やり遂げてみせる。やっと全てが繋がったんだ。これで終わりなんて嘘だろ。
考えるんだ。今の俺に足りないものは?
より強大な力? 何事にも負けない強い意志?
それとも。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あなた、本気でわかってないの?」
「何を」
「もういい。自分で気づきなさい」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ふいに、いつかのやりとりが脳裏に浮かぶ。同じくして、五年前の光景が心を揺さぶった。
――そういうことか。だったら。
「アルベルト!」
声をはりあげると、男は視線だけ俺に向けた。
「アンタの願いは何?」
「こんな時に一体何を」
「いいから! アンタの本当の願いは!」
表情を疑問譜でうめつくし、体は満身創痍で。それでも師匠は律儀に答えてくれた。いつも以上に真面目な顔で。口から出た言葉は。
「カイを取り戻す!」
だよな。
こんな時だってのに妙に納得。自然と笑みがこぼれる。『世界を手に入れる』その答えも間違っちゃいないんだろう。けれど突き詰めれば結局はそーいうことで。
人間、突き詰めればそこまでやる理由なんか一つか二つくらいしかない。ったく紛らわしい。だったらはじめからそう言えよな。
「イールズオーヴァ! アンタの本当の願いは!」
同じ質問を神様にすると、俺の姿を模した者は冷淡な瞳を向けた。
「そのようなことを知ってどうする」
相変わらずの無反応。いや返事があっただけまだマシか。
突き刺さったままの銀の剣(蒼前)を右手で掴み、声をあげる。
「俺は、まだまだやりたいことがあるんだ」
左手を上げて、心の中で名前を呼んで。
「だから。こんなところで立ち止まってなんかられない」
体に奔(はし)る無数の衝撃。
鋭利な刃物が体中に突き刺さる。そう表現するのがぴったりなんだろう。これまで死にそうな目には何度か遭ったけど、今度のが一番ひどいぞ。
「そうまでして何をしたいのだ。汝(なんじ)は」
「さっきも言ったろ? 取り戻すって」
刃物が体中に突きつけられたとしたら。当然ケガはする。
血塗られた左手に。それでも確かに握られていたのは風の短剣。強制的な支配では精霊でも必ずほころびが生じる。いちかばちかで心の中で名前を呼び続け、風の精霊はようやく主の元に来てくれた。ただし、無数の傷と引き換えにして。
《本当に昇様は無茶をなさる》
《でも。それがノボルのいいところなんですよねー♪》
師匠に負けず劣らずの満身創痍の状況で繰り広げられる会話。
ああ、この雰囲気が懐かしいよほんと。けど、事態はそれを許してはくれないわけで。
「さっそくで悪いけど、協力頼むな」
ここまでくると、心の中で呼ぶのも肉声で名前を呼ぶのも同じだ。頭を下げると、一人と一匹の精霊は首をたてにふった。
《神様からワタシを取り戻すなんて、よほどの覚悟がなきゃできませんから。
いいですよー。モテる精霊は辛いですぅ》
《昇様。やはりこのような輩は即刻駆除するべきかと》
《あーっ! またそんなこと言うんですかぁ? これだからカタブツは扱いづらったらありゃしません》
「……もう少し見てたいけど、続きは全部終わってからにしよーな」
もっともその時は俺自信どうなってるかわからないけど。
再び頭を下げると、精霊達は手をひづめを俺の肩の上に置いた。
《見くびらないでいただきたい。わたしはあなたに付き従っているのです。主と共にあるのが我が使命故》
《なんだかんだ言って、ワタシもそこの馬もノボルのことが気に入ってるんです。ワタシ達に遠慮するなんて、それこそ今さらですよー》
どう見ても自分より小さい女子と、どう見ても馬にしか見えない精霊になぐめられる天使。
どこのどんな物語にも、俺のような天使は描かれてないんだろう。
だけど。
「シェリア!」
名前を呼ぶと、それまで蚊帳の外だった公女様は驚いたような顔をした。
「今の俺ってどう見える?」
真面目な顔で問いかけると、公女様は同じく真面目な顔をした。
黙って、口に手を当てて。
しばらく考えるようなそぶりを見せた後、口から出た一言は。
「めちゃくちゃカッコ悪い大沢昇!」
「だよな」
「だってあなた、はじめからカッコ悪かったじゃない!!」
そう言った公女様の瞳にはうっすらと涙がにじんでいた。
そうだ。俺ははじめからカッコ悪かった。今さら考えてもどうにかなるわけじゃない。だったら、最後までカッコ悪くやってやる。
仕方ないだろ。これが俺なんだ。
「贄(にえ)は大地の意志」
右手に握っていた剣(蒼前)が銀色の光を放ち。
パリン。
棺のひびが深くなったと同時に折れた。同時に起こる身を裂くような痛み。よく見ると、右肩から先が動かなくなっていた。
「……もう、いい」
かすれた声が漏れる。
「贄は空の意志」
左手に握っていた風の短剣(スカイア)を突き立てると、今度は棺全体が緑の光に包まれた。
と同時に、左腕が氷づけにされた。
「もういい」
どうやら力を極限まで使いきると、それの持つ本来の力が自分の身にふりかかってくるらしい。さすが神様。一筋縄ではいかない。
動かなくはなっても、痛覚はちゃんと存在する。だから本当に痛い。痛いけど、それじゃ終われないわけで。倒れそうなところを気力をふりしぼって持ちこたえる。
あと少し。あと少しなんだ。
「贄は我が――」
「やめろ!」
声をあげたのはアルベルトだった。
「もうやめろ! もう……いいんだ」
それは懇願と言うよりも哀願に近かった。いつものエセ笑顔はそこにはない。
「無くしたくないんだ。カイに続いてお前までいなくなってしまったら俺は」
「違うよ。アル」
それは静かな音色だった。
「無くしたくないから。このままじゃ嫌だからこうするんだ」
こんな声が出せたんだな。他ならぬ自分自身が一番驚いていた。
翼はもう白じゃない。ほとんどが血にまみれている。どうやら極限を超えると元に戻ってしまうものらしい。視界に映る髪の色は黒――本来の色だった。
「俺、アンタに会えてよかった」
本当なら痛くて気絶してるだろうに、こんなに落ち着いた状態で話ができるのはなぜだろう。やっぱあれだ。根性ってすごいんだな。
「本気でむかつくことあったけど憎めなかった。なんだかんだ言ってアンタのこと好きだったんだな」
『もちろん変な意味じゃないぞ』と即行で付け足しておく。なんだかんだ言って余裕あるな俺。
「だから――っ!」
あまりの激痛に体を折る。やっぱそうでもなかったみたいだ。
「昇!」
「平気」
悲鳴をあげたシェリアに顔を向ける。
本当は全然平気じゃないけど。
「昔には戻れないけど、新しくつくることはできるから」
アルベルトの取り戻したかったもの。それは五年前に失った絆。もしかすると俺は、アルベルトの願いに自分の贖罪(しょくざい)を重ねていただけかもしれない。海ねえちゃんを助けることで自分が救われたかったのかもしれない。過去をつぐなえば昔の辛かったことをなかったことにできるんじゃないかって。
そんなの、ただの甘っちょろい戯言だ。姉ちゃんがもどってきても、何も変わらないかもしれないし、母さんがもどってくることはない。
悲しいけど、一度壊れてしまったものは元にはもどらない。けど、それをただ嘆いていられるほど俺も大人じゃない。
それなら。
「どーせだったら、今までよりも、もっともっといいやつにしよーぜ」
「そんなことはもういい! 俺は――」
「止めないで。これは俺が決めたことだから」
師匠を、公女様を見据えて笑みひとつ。
「これは俺の意志だから」
笑ったまま神様に視線を送ると、イールズオーヴァは瞳の色を変えた。今までの憐憫のものとは違う。今度は驚愕と悲愴(ひそう)に満ちたもの。さすが神様。俺の考えてることが一目でわかるとは。
前者はわかる。そんなことができるのかってことだろう。けど後者の意味は? アイツはなんで、そんな悲しい目をするんだ?
考えてても仕方がない。俺にやれるといったらこれだけだから。
「前にさ、シェリアに言われたんだ。自分で気づけって。それが今、やっとわかった」
こんな簡単なことだったんだな。今の今になって、やっと気づいた。
「母さん、笑ってたんだ。死の間際に。一番苦しい時に。
あれってきっと、安心したってことだよな」
顔中を疑問譜でうめつくした師匠に、はっとした表情の公女様。どうやら答えは間違っちゃいないらしい。
あれはきっと安堵の笑み。そう思うのはうぬぼれじゃないよな?
「大切な人の未来を守れるんだ。それって最高じゃん? だから笑えた――安心できたんだ」
その仮説があってるとしたら、俺は大切な人だったってことになるんだろうか。だとしたら、少しは自信が持てる。
「そんな顔すんなって」
知ってた? 俺、まだ十五なんだ。まだまだやることが多すぎて、時間が足りないんだ。
こんなところでもたついてる暇はない。だから。
「こんな哀しみの鎖、なくなってしまえ!」
砕けたものは、何だったんだろう。
守りたかった。
ただ、守りたかったんだ。
目に見えない哀しみ、痛み。それは平等なのかそうでないのか。
結果がどうであれ、過去をなげいていても何もはじまらない。だったら前を見据えるしかない。
大切な人達が笑ってくれることを。未来が優しいものであることを信じて。
それはまるで、夢のような光景だった。
砕かれた棺。
その中で眠っていた者は少しずつ、けれども確実に生気をおびていく。目を開けたの人は相沢海子(あいざわうみこ)。間違いなく、海ねえちゃんだった。
「カイ。俺だ。わかるか?」
アルベルトの呼びかけに、海ねえちゃんが唇を動かす。
俺の記憶にあるのはそこまでだった。