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第十章「真実(ほんとうのこと)」

No,8 過去と未来と(前編)

 雪の砂漠の真ん中で、アタシとクーはずっと話をしていた。
「あなたは昇の中で、ずっと眠っていたの?」
「そうだ」
「辛くなかったの?」
「元々、我に感情などありはしない」
 さっきから、ずっと質問ばかり。だけど、アタシにはこれしかできなかった。
 アタシは本当に、彼の、彼らのことを知らない。知るためには話すしかない。名前や性別、年齢、好きなこと。本当に初対面での自己紹介みたい。
「『我』って、変な呼び方するのね」
「我の勝手だ。汝(なんじ)に言われる筋合いはない」
「汝じゃない。シェリア」
「汝で充分だろう」
「アタシだって名前で呼んでるんだから、あんただってちゃんと名前で呼びなさい!」
 そう言うと、人差し指を突きつける。でも、天使は相変わらずの無表情だった。今までだってそう。クーは自分のことを全く話さない。天使だからと言われればそれまでだけど、それにしたってあんまりじゃない。
「黙ってないで返事しなさい! ハゲ!」
 やっぱり無表情の天使に怒鳴りつける。これって、ただの子どもの陰口じゃないかしら。そんなことが脳裏をかすめたけど、あえて気にしないことにする。
 それでも無表情で。清々しいくらいに無表情で。いつも怒鳴ってるのは昇の方なのに。なんでアタシが怒鳴らなきゃならないの!
 そんなことを思いながら、空色の瞳をにらみつける。相手の瞳にアタシの姿が確認できるようになったころ、天使が口を開いた。
「……この者が」
 感情のない、無機質な声で。
「この者が、三番目に傷つく言葉だ。少しでも身を案じているのならば、口外しないことだ」
 やっぱり気にしてるんだ。
 それよりも、一番目と二番目は何なのかしら。
 ううん、そんなことよりも。
 表情と声には似合わない、だけど、初めての昇らしいセリフにはっとする。
 ルシオーラさんの言うように、やっぱり彼は昇じゃないけど、昇なの?
「あなたは昇なの?」
 疑問を口にすると、今度はよどむことなく答えてくれた。
「この者の中に眠る存在」
「眠っている間、あなたは何をしていたの?」
「この者を通して、全てを見ていた。今まで眠っていたのは、宿主の拒絶の意思が強かったから」
 じゃあ、昇の意思が弱くなったから出てこられたってこと?
 そう尋ねると、彼は少しだけ眉を動かした。
「勘違いするな。我は宿主の同意がなければ表に出ることはできない。この者が望んだからこそ、我はここにいる」
「昇が望んだ?」
 今度は首を縦にふった。
「銀髪の男を助ける。それが我と変わる条件だった。我の望みは人形になること。全てを消去すること。
 我は神の人形。人形は、主の命をまっとうできればそれでいい」
 今までのことを考えれば、確かにそれが、あるべき天使の姿なのかもしれない。
 でも。それは。
「どうした」
 それは、とても哀しいこと。
 クーは、昇は、本当にそれでいいんだろうか。
「シェリア」
 天使の声で初めて名前を呼ばれて。顔を上げると、そこには無表情のクーの顔があった。
「汝の意の通りにした。何が不満なのだ」
 淡々と。無機質な声で。だけど、心なしか表情が憮然としているようにも見える。
 もしかして、すねてるのかしら。
 じっと見つめていると、今度は顔をそむけられた。
「不躾(ぶしつけ)に見るな」
 やっぱり、すねてるんだ。それとも、照れてる?
 ふいに、アルベルトを助けに来た時の光景が浮かんだ。
『この前は言いすぎた。……ごめん』
 言いにくそうに、頬が少しだけ赤くて。その後いつも以上に無口で、でも力強くて。あれは昇なりの照れ隠しだったのかもしれない。今の天使様は、その時の彼と全く同じ表情をしていた。
 今になって思うけど、天使になった時の昇は綺麗な顔をしている。天使の呼び名が指すように、神聖な感じがする。髪が長くなったから? 表情から感情が全てそぎ落とされたから? そもそも、姿が違うからとはいっても元は彼なんだから、もしかすると、昇は実はカッコいいのかもしれない。
 ……ううん、やっぱり嘘だ。もし美形でカッコよかったりしたら、それこそ昇じゃなくなってしまう。
 頼りなくてカッコ悪くて。だけど、最後にはしょうがないかって笑ってる。それが、アタシの知ってる大沢昇だから。
「あなたは、それでいいの?」
 天使の頬に、そっと手を添える。クーは方眉をしかめたけど、振り払うようなことはしなかった。
「我は人形だ。人形には意思は存在しない」
「じゃあ、ここにいるあなたは?」
 頬にあてた手を一旦離し、今度は彼の手をぎゅっと握りしめる。
「ここで、アタシと話をしているあなたは、一体誰なの?」
 昇なのか、クーなのか。今のアタシにはわからない。
「さっき、全てを見ていたって言ったわよね?」
 両手で彼の手を握りしめたまま、視線を上げる。
「お願い。アタシに全てを見せて」
 空色の瞳は、初めて見た時よりも怖くない。だけど、映しているものがわからない。
「大沢昇という人間の、全てを見せて」
 だから、知りたい。彼という人間を。彼という天使を。
 大沢昇であり、同時にクーと呼ばれる者のことを、アタシはもっと知りたい。
「目茶苦茶だ」
「あんたに言われなくない!」
 さっきと同じセリフに柳眉をたてる。確かにアタシもめちゃくちゃかもしれないけど、そっちだって、充分すぎるくらいに滅茶苦茶だ。
 言うべきセリフを失って、目していると、だんだんと天使の顔が近づいてくる。
 今度は何をされるの!?
 ――こつん。
 そう思ったら、額をあわせられた。
「我ができるのはここまでだ」
 うすれゆく意識の中で、アタシは夢をみる。
 そこには、小さな男の子がいた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「昇ー。こっちよ」
「早く来ないと置いてくぞ」
 目の前にいるのは背の高い男に、それに寄り添う女の人。
 男の名は大沢勝義(かつよし)、女の人の名は大沢まどか。おれの両親だった人達。
「まってよ!」
 二人に駆け寄るのは大沢昇――子どもの頃の、おれ。
 子供の目から見ても、二人は本当に仲がよくて。幾度となく、おれを連れていろんな場所に出かけた。
 母さんの、体調の悪い時を除いて。
 物心ついた時から体の悪かった母さん。母さんは家と病院を行ったりきたりしていた。原因はわからない。『人より少しだけ無理をしすぎちゃったんだな』って、父さんは笑ってた。
 心臓の病気を患っていたこと、おれを産んで、さらに体調が悪くなったと知ったのはずいぶん後になってからだったけど。けど、普通の状態じゃないってことは幼心にもわかってたから、父さんと一緒によく見まいに行った。
「久しぶりに来たわね」
 今日は八月十三日。母さんが病院から離れられる日。
 本当は安静にしていた方がいいって病院にも言われてたけど、おれが『帰ってきて』って言ったし、お盆の帰省も兼ねてって意味で、特別に退院を許された。
「体、大丈夫なのか?」
「少しくらい平気よ。それに、こうも楽しみにされてるんだもの。帰らないわけにはいかないでしょ?」
 そう。おれが言った。
 『帰ってきて』って。『一緒にいて』って。
 それが、あんな結末の引き金になるとは思いもせずに。
「この花はね、母さんが大好きな花なの」
 家に帰る前に寄りたい場所がある。
 そう言って連れられたのは、大輪の黄色い花の咲く花畑だった。
「この花はね、いつもお日様のほうを向いて咲いてるのよ?」
「ホントだ。じゃあ太陽の花だ!」
「そうね。お日様の花。――そして、あなたの花よ?」
「おれの花?」
 意味がわからずに首をかしげると、母さんは目を細めて言った。
「そう。『日はまた昇る』あなたはお日様なの」
「そーなの?」
 お日様と太陽の結びつけはなんとなくわかったけど、名前と花の関連性などわかるはずもなく。
「辛い時でも、前を向いていれば光はやってくるの。明けない夜なんかないんだから。
 だから、あなたはどんな時でも胸をはって歩きなさい。あなたが笑っていれば、みんな倖せになれるから」
 それでも、大切なことを言われてるのはわかったから。いつになく真剣な眼差しに、おれは黙ってうなずいた。
「おいおい、こいつはまだ10歳だぞ? ガキにそんなこと言ってもわかりゃしないって」
「ガキってなんだよ! おれもう10歳だぞ!」
「はいはい」
「わたしから言わせてもらえれば、あなたのほうがよっぽどガキに見えるけど?」
「まどか……」
 そう言って、親父は一人しょげていた。 何気ない日常。何気なくて、でも大切な日々。
 それがくずれさったのは、夕方の帰り道のことだった。
「はやく帰ろうよ。荷物ならおれがもつから」
 次に入院したら、手術を受ける。だから、たくさん母さんを元気づけてやろうな。
 迎えに行く直前に、父さんから聞かされていた。だから、たくさん母さんと遊ぼうと思った。海に行って、山に行って。他のみんなみたいに家族でバーベキューして。
「そんなに急がなくてもいいだろ」
「いいもん!」
 父さんと一緒にカブト虫捕まえて、見せてあげよう。母さん、びっくりするかな。
 大きなバックを抱えながら、道路を横切る。それが、どんな結末を迎えるのか知らずに。

 全ては一瞬だった。
 車の音なんか、わからなかったんだ。耳に入るのはセミの鳴き声だけで。
 気がついたら突き飛ばされていた。
 耳に届いたのは鈍い音。そして。
 たくさん痛かった。頭も。腕も。肩も。
 でも、それよりも痛むものがあった。それは、心。

「の、ぼる……」
 視界に映ったのは大切な人の変わり果てた姿。
 何が起こったのかわからなかった。考えたくもなかった。でも、目の前にあるのはまぎれもない現実で。
「う……」
 泣き喚くことができたらどんなによかっただろう。けど、できなかった。
 ただ覚えているのは一つの事実。
 周りは血だらけだった。おれの手も、頭も。それ以上に赤かったのは、目の前の大切な人。
 何もかもが赤く見えた。空も。地も。自分も。目の前の人でさえも。
 こんな命の瀬戸際に、あの人は笑顔で。
 そして。
「母さん!」
 のばされた手が、力なく地に落ちる。
「まどか! 昇!!」
 父さんの声が聞こえる。
 親子三人の夏は、こうしてあっけなく崩れさった。


 神様、お願いです。母さんを助けてください。
 いい子にしてれば神様がお願い事を叶えてくれるって、みんな言ってたんだ。
 おれはどうなってもかまわないから。だから、母さんを助けて!

 母さんが死んだのは、それから二時間後だった。
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