EVER GREEN
第十章「真実(ほんとうのこと)」
No,2 気持ち
絶句という言葉は、こういう時に使うのかもしれない。
『それが、大沢昇という人間を形作るものです』
アルベルトの言葉が頭から離れない。それがもし本当なら、彼は、彼を形作るものは初めから作られたものになるんだろうか。
笑って、叫んで、怒って、最後にはやっぱり笑って。それが見せかけのものだったら、あまりにも哀しすぎる。
「そんなことって」
「絶対にありえないと言い切れますか?」
アタシが言い終わるよりも早く、言葉をさえぎられる。
「思い込みというものは、なかなかあなどれないものです。ある意味、一種の洗脳だと言っても過言ではないでしょう。
良い意味でなら非常にけっこうなことですが、逆の場合だと本当にたちが悪い。
衝撃が強ければ強いほど、自分を制する力が強くなるんです。頭では理解していても、なかなか負の意識がぬぐえない。本人の意識、無意識とは裏腹に」
こんな時にも、アルベルトは平然としていた。
まるでおとぎ話の続きを聞いてるみたい。ふいに子どもの頃を思い出す。子どもの頃に聞いた昔話。あの頃のアタシは文字通り本当に子どもで。
お父様とお母様がアタシにかまってくれなくて、神官長のリューザに育てられて。アタシが寂しくならないよう眠る前にいつも読み聞かせてくれた。教えのことはよくわからなかったけど、リューザの声が温かくて。
女神様と天使様。
いなくなってしまった英雄とお姫様。
他にも数え上げたらきりがないくらい。忙しい合間をぬって、育ての親はたくさんの物語を紡いでくれた。だけど、現実のおとぎ話はあまりにも冷たい。
「アルベルト」
今度はアタシが質問する番だった。
「あなたは昇をどんなふうに見ていたの?」
リューザはこうなることを知ってて話を聞かせてくれたのかしら。
そんな考えが頭をよぎりそうになり、慌てて打ち消す。
そんなこと、あるはずないのに。いくら神官長でも時が流れて、自分の息子が本当のおとぎ話を聞かせてくれるとは思わなかったはずよ。ましてや息子が物語の当事者だなんて誰も予想つかない。
「今までアタシ達が見てきたものは、にせものだって言いたいの?」
こんな言葉、使いたくなんかない。だけど、聞かずにはいられなくて。
目の前の神官の有能さは誰もが知っている。それ以上に、アタシは彼を信頼している。
信頼しているからこそ、彼の口から言ってほしかった。彼はにせものなんかじゃないって。アタシが知ってる黒髪の男の子は、アタシと同じ、れっきとした人間だって。
アルベルトの応えを固唾をのんで見守る。どうか違っていて。嘘だって言って。
長い、長い沈黙が二人の間を支配する。
だけど。
「人格が意図的なものだとしたら、立派な道化ですね」
沈黙の後にもたらされたのは、残酷な一言。
何を言われているのかわからなかった。感情が理性を上回っていたから。
アルベルト・ハザーと言う人がどんな人間なのか。たぶん、アタシが一番よく知っている。彼は、アタシに嘘をついたことがない。嘘をつくくらいなら、残酷な事実でも平気で言ってのける人だ。それが、彼なりの優しさ。
頭が動き始めたのは、さらに長い長い時間がたってから。
「あなたは、彼がそうだと言いたいの?」
「ご想像にお任せします。ただ、彼という人間ははじめから存在しなかった。そう考えたほうが気が楽でしょうね」
皮肉気につぶやいた男の人の頬を、アタシは力任せにひっぱたいた。
男の人をひっぱたいたのは生まれて初めてだった。
「シェリア、いい?」
自室にもどってベッドにうずくまって。
親友が声をかけてきたのはそんな時だった。
「……泣いてたの?」
ためらいがちな声に首肯する。違うって言ってもこの顔じゃすぐにわかるから。第一、親友にかくしごとなんかしたくなかったし、する気力もなかった。
鏡を見なくてもわかる。今のアタシはものすごくひどい顔をしている。
もしかしたら、シーナも同じ気持ちだったのかな。
親友の顔を見ながら思う。一年前、アタシは意にそわない結婚を強いられた。人のいい叔母(おば)様達にあずけられて、ようやく故郷にもどってきたらこれだもの。あげくのはてに婚約者に連れさらわれて。あの時のアタシは本当に不幸のどん底だった。そんなアタシを助けてくれたのがシーナで、シーナを助けてくれたのがショウだった。
アタシを助けにくる前に、親友がお父様の頬をひっぱたいたって聞かされたのは後になってから。
理不尽ないらだちと、やるせない痛み。
手をあげたからといってどうにもならないことはわかってる。わかってるけど、理性と感情は別のもので。
そう言えば、シーナと瓜二つだってわかったのもこの時だったのよね。時間をかせぐために二人で入れ替わって変装して。周りは似てる似てるって言ってたけど、まさかここまでとは思わなかったから、アタシ自身が一番驚いた。
「ねぇシーナ。男の子ってバカよね」
「シェリア?」
断定した呼びかけに親友が不思議そうな顔をする。
――違う。バカなのは男の子じゃない。昇がバカなんだ。
変装したアタシをシーナだと面白いくらいに勘違いして。面白いくらいに真面目な顔で告げて。
「いつもはこれでもかってくらいに情けないのに。何でこんな時に限って意地なんかはるのかしら」
絶対ただではすまないってわかっていたのに。相手の口調にだまされて、ううん、わかったうえで戦おうとするんだもの。弱いってわかっているはずなのに。それでも一人で向かっていくんだもの。
たった一人で。それこそ物語の英雄みたいで。こんな時にカッコつけなくたっていいじゃない。そんなことされても、アタシは全然うれしくない。
「ほんと、バカみたい」
新しい涙が頬を伝う。さっき、あれだけ泣いたはずなのに。
――バカなのはアタシだ。
わかってた。昇がそういう人だってことに。顔では笑っていて、みんなにからかわれて。瞳の奥にたくさんの感情を押し込みながら、それでも笑ってる人だってことに。
へたれていたんじゃない。影ではたくさん、たくさん努力していた。ただ、それが結果に出せないだけで。うわべでは泣き言を言ってても、本当に弱音を吐いたことはほとんどない。
本当に、変なところで我慢強いんだから。どうしてアタシに言ってくれないのよ。友達なら頼ってくれたっていいじゃない。
遠い昔、アルベルトはアタシにお願いをした。純粋でまっすぐな心を持った、それでいて深い傷を負った子供の友達になってほしいって。
昇と出会って旅をして。初めは大きな弟ができたくらいの軽い気持ちだった。何も知らない、文字通りの異邦人だからアタシがしっかりしなきゃって。いつからなんだろう。立場が入れ替わったのは。
守ってるつもりが、逆に守られていた。アタシはしょせんお姫様でしかないの?
アタシは昇にとって何なの?
涙が乾くまで、シーナはずっと側にいてくれた。なぐさめの声をかけるわけでもなく、ただ、抱きしめてくれた。
親友にしがみついたまま、アタシは声をあげて泣いた。
衝撃と悲しみと怒りとやるせなさと。
たくさんの感情の渦が胸の中を支配する。だけどアタシは、この感情の在処(ありか)を知らない。唯一わかるのは、心がものすごく痛いってこと。
どれくらい時間がたったんだろう。親友はアタシを見つめてこう言った。
「昇くんが好きなの?」
「……わからない」
自分でもあいまいな答えだと思う。でもそうとしか言えなかった。
だって本当にわからなかったから。
「嫌いじゃないわ。時々失礼なこと言うけど、わかりやすいし面白いし」
そもそも嫌いだったら、いくら大切な人の頼みでも一緒に旅なんかできなかった。嫌いだったら、友達になんかなれなかった。
「好きかどうかはわからない。ただほっとけないの。変かな?」
「ううん。変じゃない」
アタシの声に、親友はゆるゆると首を横にふった。
「私は昇くんのこと好きだよ」
「それは弟だから?」
問いかけに、親友は穏やかに微笑んだ。
「昇くんは私に大切なことを教えてくれた。拒絶してるだけじゃ何もはじまらないって。
自分が変わらなきゃ、何も変わらないって。
昇くんがいたから、今の私があるの。昇くんは大切な人。大切な――家族」
シーナの言葉に嘘偽りはなかった。目の前の女の子は、心から昇のことを大切に想ってる。
ここにはいない男の子のことが、すこしだけうらやましくなった。形は違っても、こんなに異性から大切に想われている人ってそうはいないと思う。そして、そんな女の子を好きになった男の子も、人を見る目があると思う。
「変かな?」
「ううん、変じゃない」
同じ質問に同じ答え。
ここにはいない男の子のことを、心から恨めしく思った。二人の女の子から心配されて、帰ってこないって何様なのよ!
「気持ちって、そう簡単にわかるものじゃないよ。
私もシェリアも昇くんのことが大切で、心から心配してる。
今はそれでいいと思う」
体を離すと、シーナはアタシの顔をまじまじと見つめた。
アタシと同じ、明るい茶色の瞳。
見た目は確かに似てるのかもしれない。だけど、中身は全然違う。
「シェリア・ラシーデ・ミルドラッド」
目の前の女の子ほど、アタシは強くない。
昇のことだって、好きかどうかすらわからない。
だけど、アタシは会いたい。
会って確かめたい。自分の気持ちを。アタシという人間が、大沢昇という人間をどう思っているのかを。
「弟をよろしくお願いします」
「わかりました」
親友のお願いに、アタシは静かにうなずいた。
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