EVER GREEN
第十章「真実(ほんとうのこと)」
No,11 おかえりなさい
ガッ!
もしここが床だったら、そんな擬音語がふさわしかったと思う。
『翼より鱗です』
アタシはアルベルトの言葉を忠実に実行した。
世界の理(ことわり)。翼は鱗(うろこ)を包んで鱗は爪をしのぐ、爪は翼を裂く。地球では『ジャンケン』って言われてるもの。『爪は翼を引き裂く、だったな』そう言って、昇はアタシにひどいことをした。だから、アタシもお返しだ。
アタシは、昇の顔をなぐった。
翼じゃなくて鱗で。
パーじゃなくてグーで。
いくら女の力だとしても、力をこめればちゃんと威力はある。ましてや目の前の男の子は無防備だ。案の定、男の子は抵抗することなく床にくずれた。アタシの手も痛かったけど、今はそんなこと気にしてなんかられない。
「立ちなさいよ!」
本当は、もっともっと殴ってやりたい。でも、そんなことしてもどうにもならない。だから、胸元をつかんで大声をあげる。
「いつまでも、メソメソウジウジしてんじゃないわよ!」
これが『一般市民的喧嘩の方法』。まずは先制攻撃にかぎるってアルベルトが言ってた。一発きめて、その後は自分の思うようにやれって。
「なに自分の殻に閉じこもってんのよ。周りを見ないようにして、自分を悪者にしてればそれで満足? あんた、実は根暗ね!?」
頭にきたから今度は平手ではたいた。でも、男の子はされるがまま。やっぱり、アタシの手の方が痛かった。
「あなたは男の子なんでしょう? アタシにいいように言われて、悔しくないの?」
違う。言いたいのはこんなことじゃない。
「このヘタレ! いい加減、元にもどりなさいよ!」
伝えたいのはこんなことじゃない。
「『オレは何』? ふざけたこと言ってんじゃないわよ」
前に、似たような質問を親友にぶつけた。あの時はアタシが泣いていたけど、今度はアタシが答える番。
「そんなの、自分で考えなさい」
胸をつかんだまま、顔を近づける。元々、そんなに距離は離れてなかったから空色の瞳にアタシの顔が映った。
アタシは怒っていた。
「わからないなら、アタシが言ってあげる。あなたは、はじめっから『あなた』じゃない!」
いつもは弱いのに、窮地(きゅうち)にすごいことをした騎士様に。
『すごい』という言葉は必ずしもいい意味で使われるんじゃない。セイルとの勝負は見ていて辛かったし、その後の姿はもっと痛々しかった。それでも、あなたはすごかった――強かった。自分を貫き通して。崩れ落ちるぎりぎりのところまで、あなたは笑っていた。よかったなって、自分のことじゃなくて相手のことを心配していた。
「ねぇ、昇。あなたはこのままでいいの?」
人って、悲しさとか切なさとか、そんなものが限度を越えると怒りに変わるんだ。
今回のことで初めてわかった。
「あなたは道具でいたいの? 人形なの?」
子供の頃、アタシは同じ質問をアルベルトにした。答えは聞けず、逆に質問された。
一年前にも、シーナに同じことを言って答えを見つけた。
答えは、誰かから教えてもらったんじゃない。自分で決めたの。
「アタシは嫌よ。人形なんて。誰になんと言われても、アタシは道具になんかならない。人形になんか、なってやらない」
確かにアタシはミルドラッドの公女だ。だけど、その前に一人の女の子だ。シーナやショウ、リューザの協力があったから、アタシは両親に意思を告げられた。告げたから、今のアタシがある。
『いつか、あなたの目の前に、私によく似た、純粋で心に深い傷を負った子供を連れてきます』
きっと、これがそう。
目の前にいる男の子は、確かに深い傷を負っていた。無自覚という、他者にも自分にもわからない形で。なのに、シェーラのことに真剣で、セイルとはちゃんと決着をつけて。何よりアタシの友達でいてくれた。
友達って、一方的なものじゃないはずだ。なんで人のことだけ聞くだけ聞いて、自分のことは話そうとしないのよ! 頼られていないって、お荷物と一緒じゃない。アタシ達ってそんなに頼りないの? あなたにとって、アタシは一体何なのよ!!
「ねぇ、昇。前に、あなた地球でキスしたことあったわよね?」
この際だから、言いたいこと全部言ってしまおう。
服をつかんでいた手を離して、今度は頬にあてる。男の子は微動だにしない。
「わかってないだろうから言うけど、あれシーナじゃなくて、アタシだったの」
瞳に宿る感情が変わった、かはわからない。それでもアタシはしゃべり続ける。
夏休みに昇の故郷に行って、昇のシーナに対する気持ちを知って。謝るためにやった、シーナの変装。それがまさか、あんなことになるとは思わなかった。
『……オレって、椎名にとっては『弟』?』
昇の気持ちを知るのは、それで充分だった。慌てて本当のことを言おうとしたけど、昇が手をもどした反動で、彼の方に倒れてしまって。それで――
「そりゃあ、事故だったけど。でも、アタシにとってはあれが初めてだったんだから。ちゃんと責任とりなさいよ」
目の前の男の子はまったく動かない。本当にわかってないんだから!
「女の子のファーストキスは、惑星(ほし)一個分くらい重いんだから!」
自分でも大げさだとは思う。でも、これくらい言ってやんなきゃ気がすまない。アタシだって女の子だ。望まない結婚だって覚悟してたし、実際させられそうになった。でも、一番最初のキスくらい好きな人としたいって、人並みの願望はあった。
あったっていいじゃない。誰だって、それくらい思うでしょ? なのに!
「昇。もどってきて」
なんでこんなこと言うのかわからない。でも、言いたかった。
哀しみの後は怒り。
怒りの後は切なさ。
切なさの後は――祈り。
「今までいろんなことあったけど『なんとかなるさ』なんでしょ? だったらなんとかしなさいよ」
どうしてよ。どうしてあなたはそうなの。
「あなたは一人じゃない。アルベルトやシーナやショウ、シェーラだっている。モロハだって。それに、アタシがいる」
笑顔の中に、たくさんの感情を隠している。アルベルトの時は、そう感じた。
でも、目の前の男の子は違う。たくさんの感情を押し殺している。無意識の中で、自分を責めて。だけど、生きることに精一杯で。
「まだ、護衛の任を解いた覚えはないんだから」
今わかった。
――アタシは、この人が好き。
「戻ろうよ。みんな待ってるのよ?」
情けなくてダサくてみっともなくて。お世辞にも、カッコいいなんて思えなくて。
「つらいこととか嫌なこととかたくさんあるけど。みんなそれでも生きてるんだから。あなたは生きたいんでしょう? だからここにいるんでしょ?」
でも、何もかもを包み込んで前に進もうとする、陽だまりのような人。
優しい人。強い人。
「生きるって、不幸になることじゃない」
どうして弱さばかりを否定するの。
「生きるって、倖せになることでしょ?」
あなたには、あなたにしかできないことがあったはずだ。そしてアタシは、そのあなたにしかできないことに救われていた。
人形になれば、何も考えなければ、確かに楽かもしれない。だけど、それじゃ生きてるっていえないもの。自分を否定してばかりの人生なんて嫌だし哀しすぎる。
今回のことだって、神様とか世界云々の前に、自分自身に傷ついて心を閉ざしてしまった。知ってた? あなた、まだ十五歳なのよ? アタシよりも年下なのよ? アタシだって一人じゃ何もできないもの。あなたが全ての業を背負えるわけわけないじゃない。
自分で考えて、行動して。だからこそ意味がある。失敗したっていいじゃない。何のために、アタシ達がいるの?
アタシにはわかる。あなたは生きたがっている。嘆きだって。哀しみだってある。それでも、願っている。
生きたいって、幸せになりたいって。声にならない声で、叫んでる。
「一人じゃ無理だったら、アタシに言って。ううん、アタシじゃなくてもいい。誰かに言って」
声と共に、目の前の男の子を抱きしめる。思ったよりがっちりしてたんだ。そうよね、男の子だもんね。アタシとは違うもの。
抱きしめたまま、祈りの言葉を口にする。
「お願い。帰ってきて」
お願いです。全てを一人で抱え込まないで。
「一緒にいて」
お願いです。もう一度、アタシに笑顔を見せて。
弱いままでいいから。情けなくても、カッコ悪くてもいいから。
そんなに自分を責めないで。あなたは充分に苦しんだはず。あなたを大切に想っている人は、それ以上、あなたが不幸になることを望んではいないはずだから。
どうか、帰ってきてください。あなたが必要なんです。
「アタシはあなたのことが――」
それから先は言わなかった。
言えなかった。視界がかすんで、息をすることさえ苦しかったから。
お願いです。誰か、彼を救って。
どれくらい時間がたったんだろう。
涙はもう乾いていた。出しつくしてしまったのかもしれない。それでも、男の子は変わらないままだった。
「ごめんなさい。アタシ、もう行くね」
手を離して力なく笑う。結局、アタシには何もできなかった。
そうよね。アタシはただの人間だもの。アルベルトのような聡明さも、シーナのような強さもない。ショウのような実力もないし、モロハのような能力もない。ましてや、シェーラやセイルのような決意もない。本当に、公女という肩書きだけの女の子だったんだ。
それでも、戻ってきて欲しいという願いは本物だった。だったら、時間がかかっても声をかけるしかない。たくさんたくさん名前を呼んで。ふりむいてくれるのを待つしかない。
一旦もどって、またやり直そう。もどろうと踵をかえしたその時。
「……な」
「え?」
小さな、かすれるような声に確かな感触。
抱きしめられている。その事実に気づいたのは、しばらくしてのこと。
「行くな」
《いかないで》
声が聞こえる。
「なんでだよ」
《何故だ》
小さくて、はかなくて。
「なんで、そんなこと言うんだよ」
《汝のような者はいなかった》
だけど、しっかりとした心の声。もう一つの、彼自身の声。
「あの時と、同じこと言うんだもんな」
《嬉しかった。けど、怖かった》
子どものようで、天使のようで。
「あれだけ言ったのに、なんで来るんだよ」
《そんなこと言われたら、帰らないわけにはいかないじゃないか》
男の子でも、涙を流すことってあるんだ。
実際、頬はぬれてなかったけど。でも、目の前にいる男の子は泣いている。そう感じた。
「せっかく人がカッコつけたのに」
《本当は、辛くて苦しかった》
「だってあなた、はじめからカッコ悪かったじゃない」
思ったとおりのことを口にすると、腕をといて見据える。
城内の庭で、目を回して倒れていた男の子。お兄ちゃんが連れてきた彼は、どこをどう見ても、カッコよくは見えなかった。目を覚ましても、美形には見えない。むしろかっこ悪さが増大するだけ。
「あなたはアタシに、どうして欲しいの?」
でも、楽しかった。
アルベルトと彼と、三人で旅をして。ずっとずっと、一緒にいたいと思った。
「本当は、そばにいてほしかった」
《だけど。これ以上、大切な人がいなくなるのが怖かったんだ》
「けど」
「アタシ、消えないよ」
男の子が言い終わる前に。アタシは言葉を紡ぐ。
「アタシは、そんじょそこらのお姫様とはわけが違うの。そう簡単に、消えてなんかやらないから」
唇のはしを少しだけ上げる。これでドレスを着ていたら、少しは見とれてくれたかしら。ううん、そんなことをしなくても。声は、気持ちはきっと、届いている。
それくらい、今の表情は良かったと思う。向けられた方は、途方にくれた、子どものような顔だったけど。
「行くなよ。どこにも行かないで」
瞳と髪はきれいな空の色。翼は真っ白な雲の色。
その瞳から、透明なものが流れる。
「もう、あんな思いは嫌だ……っ!」
《オレは、お前のことが――》
抱きしめて、抱きしめ返して。
「あなたは昇? それともクーなの?」
「……おれは」
瞳の色は天使のもの。
「我は」
空の奥に潜むのは、たくさんの感情。
「オレは」
哀しみと願いを携えて、それでも前に進もうとする男の人の顔。
「俺は、大沢昇」
それは。正真正銘、昇――だった。
――おかえりなさい。待っていました。
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