第十章「真実(ほんとうのこと)」
No,1 おとぎ話
むかしむかし。『神』と呼ばれる存在がありました。
神には三人の娘がいました。
一人は開花を。
一人は喜びを。
一人は輝きを。
神は娘達をとても大切にしていました。娘達も神を愛していました。
月日は流れ、神は眠りにつくことになりました。彼も万能ではなかったのです。
ですから、神は娘達に自分の世界を託しました。
一人は空を。
一人は海を。
一人は大地を。
神は言いました。
『あなた達は私がうみだした存在。命を大切にしなさい。そうすれば、私はいつもあなた達と共にあることができる』
神は深い深い眠りにつき、娘は嘆き悲しみました。
ですが、いつまでも悲しむわけにはいきません。
娘は『天使』と呼ばれるものをつくりました。娘と天使は長い年月をかけ、それぞれの世界を、人間を守り慈しみました。
ですが、そんな緩やかな時間も終わりをつげます。神同様、彼女達も万能ではなかったのです。
娘は天使に言いました。
『私の時間も終わりをつげます。これからはあなたがこの世界を守ってください』
天使は言いました。
『一人は辛すぎます。どうか最期まであなたを守らせてください』
『ならば、二人で世界を見守っていきましょう。空と、海と、大地を』
こうして娘達は、天使達は人々の前から姿を消しました。
彼らはこの世界のどこかにいると言われています。彼女達は、彼らは、今でもずっと私達のことを見守っているのです
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「ライフォード教?」
聞きなれた一節にアルベルトが首肯する。これは、アタシ達の国に伝わるおとぎ話。世界は三つのもので成り立っていて、それぞれに女神様と神様が遣わした天使様がいるって。実際は女神様じゃなくて『神様の三人の娘』だったんだけど、小さい頃から聞かされていたからあまり違和感はなかった。
これに関わらず、アタシの国にはたくさんの言い伝えがある。ミルドラッドのことだってそう。
『二人の若者が水を求めてさまよっていた。
そのうち一人が倒れてしまった。残されたもう一人の若者は必ず戻るといい一人で水を探し続けた。けれどその若者もついに力尽きてしまった。
《ほんの少しでもいい。もう一人の者に水を》若者はひたすら祈った。すると、どこからともなく全てが青い色の女性――水の精霊アムトリーテが現れ倒れていた若者に口付けをした。不思議なことに若者はそれで乾きを癒やし生気をとりもどした。
だがそこにはアムトリーテの姿はなく、かわりに一つの石があった。
精霊は言った。『それには水を呼びおこす力がある。水が欲しければそれに祈るといい。ただし自分の欲のみに使うと悲劇を呼んでしまう』と。
二人は石を使って大量の水を呼び寄せた。やがてそこには人が集まるようになり、二人は精霊の言いつけを忘れないように女性の像を作りアクアクリスタルを納めた』
アクアクリスタルに水を呼び寄せる力があったかはわからない。でも、二つのペンダントがフロンティアに連なる道を示すってことはわかった。
どんなおとぎ話でも、元となるものはある。逆を言えば真実を、教えをわかりやすくするために物語は紡がれる。
『大切な想いはここにある』
胸元では青い宝石が輝いている。お守りだって昇が首にかけてくれた。本当はアタシが渡したものなのに。人を守れる自信がないって言い切った男の子は情けなくて、でもほんの少しだけ、頼もしかった。
『離れていても願いは叶う』
二つで一つの意味と願いをなすもの。もう一つを宿した男の子は、今どこにいるんだろう。
「あなた達の教えがどうしたの?」
おとぎ話――教えの一節を説くのは神官の役割。アタシは子どものころからリューザに、ライフォード教の神官長に子守唄代わりに言い聞かされてきた。でも、それと今の状況に何のつながりがあるんだろう。話の意図がわからず眉をひそめていると、アルベルトは口の端を上げる。
「続きがあるんですよ」
「続き?」
「もっとも、知っているのは限られた者だけですけどね」
そう言うと、彼はもう一つのおとぎ話を聞かせてくれた。
あるところに一人の子どもがいました。
子どもは、全てに絶望していました。もしかすると、生きることに疲れていたのかもしれません。
そこへ、一人の旅人が通りかかります。子どもは言いました。『こんな世界なくなってしまえ』と。旅人は言いました。『だったら自分でやりとげなさい』と。
願いをかなえるまで、子どもは旅人についていくことにしました。行くあてもなかったし、旅人自身に興味がわいたからです。
子どもの願い。それはカミサマノムスメに会って世界をこわしてもらうことです。こわしてしまえば、新しい世界を手に入れることができます。絶望することのない、子どもの描いた通りの世界を。
年月が流れ、子どもは少年になりました。
子どもは願いをあきらめませんでした。そして、ついにカミサマノムスメに会うことができました。
現れたカミサマノムスメは少年と同じくらいの少女でした。少年とは違う世界からやってきたという黒髪の少女。彼女も全てに絶望していましたが、彼女には何の力もありませんでした。正しくはカミサマノムスメには『天使』と呼ばれるものをつくることしかできなかったのです。
『天使にしてください』少年は少女にお願いしました。天使の力を使って世界をこわそうと思ったのです。ですが、願いは聞き入れられませんでした。天使はカミサマノムスメに認められた、彼女と同じ世界の住人にしかなることが許されなかったのです。
旅人は言いました。『だったら新しい天使をつくればいいじゃないか』と。新しい天使をつくって、自分達の望みを叶えてもらえばいいと。
子どもと少女は協力して天使をつくることにしました。
そして、天使はあらわれました。ですが、願いは叶えられませんでした。なぜなら天使は子どもだったからです。
少女と同じ黒い髪と目をした子ども。子どもは全てを忘れていました。楽しいことも、悲しいことも。文字通り、真っ白だったのです。
子どもを天使に育てるため、三人と一人の奇妙な旅が始まりました。時には怒り、時には呆れ、時には笑い。それは本当に不思議な旅であり、つながりでした。
二人は子どもにしんぼう強く世界を教えました。世界はこんなにも哀しいものでできている、だからこわしてしまえと。ですが、子どもはそれを受け入れません。『世界は哀しいけれど優しいよ』うわごとのように繰り返すのみです。子どもに毒されたのでしょうか。次第に二人は何も言わなくなりました。旅人も、ただにこにこと見守るのみです。
二人は忘れていました。神様や娘と同様、天使が万能ではないということに。天使が善や悪の区別もつかない子どもだということに。
ある日を境に、子どもは天使へと変貌をとげました。
天使は娘の言うことを忠実に守りました。彼女を阻もうとする者を焼き払い、人に平然と刃を向けます。それは、かつて少年と少女が望んだ姿そのものでした。
力と引き換えに、天使はたくさんのものを失いました。笑うこと、泣くこと。恐れること。
望んでいたはずの天使の姿。これならば確実に世界をこわすことができます。ですが、少女は天使を元の世界に返してしまいました。力と記憶を引き換えにして、天使を何も知らない子どもにもどして。少年もまた、それを止めることができませんでした。
月日はさらに流れ、少女はカミサマの元へもどることになりました。少女も万能ではなく、望みを叶えるためには深い眠りにつかなければならなかったのです。
少女は少年と旅人にお願いをしました。
カミサマノムスメの願いは一つだけ。それは簡単なようで途方のないものでした。
少女が眠りについた後、少年と旅人は別れました。
一人はあてのない一人旅へ。
もう一人は願いを叶えるために。世界を手に入れるために。
そうして、五年の月日が流れました。
「壊れないようにするにはどうすればいいと思いますか?」
物語のしめくくりに、アルベルトはそんな問いかけをした。
「はじめから壊してしまえばいいんです。粉々に壊れていては、それ以上壊しようがありませんから」
答えは途方もないもので。
「壊れてしまえば、そこから新しいものを築きあげることができますから」
表情はいつもと変わらない。優しげで、でもどこか寂しそうで。
どうしてそんなことが言えるの? 壊れるとか壊すとか、一体何のことを言ってるの?
『眠り姫の目を覚ましにいかなきゃいけませんから』
子どもの頃、彼はそういってアタシの前から姿を消した。眠り姫がその人を指すのなら、少年や子どもは。
おとぎ話の登場人物が誰なのか。今までの話を聞いていれば予想はできる。でも認めたくなかった。だったら、目の前の男の人や彼はなんだというの? アタシと彼の、ううん、彼がこの世界に来たことは、初めからしくまれていたことだったの!?
感情が顔に出たのかもしれない。目を細めた後、彼はアタシに向かって再び問いかける。
「あなたには、ノボルがどのように見えますか」
「どんなふうにって……」
言われるまま、脳裏に黒髪の男の子を思い浮かべてみる。情けなくて、カッコ悪くて。みんなにからかわれてばかりで、恥ずべきことを、開き直って堂々と言ってのけて。
「自虐で卑屈。それ以外の何ものでもありません」
アタシが思っていた以上のことを、彼は平然と言ってのけた。
「照れ隠しという言葉を知ってますか? 本来、恥ずかしさや気まずさを他のことに紛らわすことを指します。自分の本質を隠すために用いられるとも言えますけどね。
彼には常に後ろめたさがある、言い換えれば自責の念がある」
確かに昇はカッコ悪い。正確には、不幸なんだ。
頑張ってるはずなのに、面白いくらいに災難が降りかかってきて、でも最後にはしょうがないかって笑ってる。今までは本当にしょうがないって一緒に笑ってた。でもそれが意図的なものだとしたら? 自分で望んだものだとしたら?
「……昇は、ずっと後悔していたの?」
「極論を言えば」
アルベルトは昇に優しくなかった。
「彼の不幸は、自責の念からくる照れ隠しなんです」
本当に、優しくなかった。
「それが、大沢昇という人間を形作るものです」
アルベルトの導いたものに、アタシは何も言えなかった。